saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

2022-12-01から1ヶ月間の記事一覧

第11章 : 光、生命、そして愛 (03)

(…光のスピードで進むものは、光になる ) だから、何ひとつ 光の速さに到達するものはないし 何ひとつとして、光の速さを 越えるものは 存在しない。 光のスピードは 秒速 十八万六千マイル(三十万㌔)だ。 そのスピードで進むものは、光になってしまう。 だ…

第11章 : 光、生命、そして愛 (02)

( 光は 潜在性であり、愛は その実現だ ) そして、生命は ただの通路だ。 だから「神は 愛である」とは、その意味での愛だ。 愛に到達しない限り、あなたは ただ、途中にいる。 最終地点に 到達したわけではない。 光が始まりで 愛が終わりで、生命は ただの…

第11章 : 光、生命、そして愛 (01)

『絶えず内なる輝きに、内なる光に、内なる無限の果実に統一していること、それが礼拝の前の沐浴だ』 光は 宇宙の中で 最も神秘的なものだ −−− 多くの理由で。 あなたは 感じたことがないかもしれない。 だが、光については まず最初にこう言える。 「光は純…

第10章「全一であることの奥義」(08)

ブッダが 臨終を迎える時 アーナンダはブッダに こう言った。 「いつ戻って来られるのですか ?」と。 するとブッダは 「それは 不可能だ。 二度と戻って来ないだろう」と 言った。 それを聞いて、アーナンダは すすり泣きはじめた。 すると、ブッダは彼に 「…

第10章「全一であることの奥義」(07)

仏教徒と ジャイナ教徒だけが、次のようなことを 言った。 あなたが 光明を得たなら 神々が訪れて あなたを礼拝するだろう と。 彼らは「神々は、無欲になっていない」と 言う。 あなたが 光明を得たら、あなたは無欲になる。 インドラでさえも、無欲になっ…

第10章「全一であることの奥義」(06)

( 完全は より完全になり、もっと豊かになる可能性が ある。 完全は 進化する。 それは あらゆる瞬間において完全だ。 それでもまだ、それは 固定したものではない ) たとえば ダンサーだ。 彼の 全ての仕草が完璧だ。 あらゆる瞬間、全ての仕草が完璧だ。 …

第10章「全一であることの奥義」(05)

こんな話が ある。 その話は すばらしい、その話は 詩的だ。 そして 多くのことを語っている。 その話によると、「ブッダが 光明を得たとき、全宇宙が喜びに満ち、花が空から降り注がれ、神々が 彼のまわりで踊り始め、神々の王であるインドラ自身が 手を合わ…

第10章「全一であることの奥義」(04)

( それは ありきたりのことではない。 稀なることだ。 それは 骨が折れる。 そして、それは 捧げるに値する ) いつであれ、一つのハプニングが 起こる時、いつであれ、一人のブッダ、一人のクリシュナ、一人のキリストが 彼ら自身を 捧げる時、マインドを神…

第10章「全一であることの奥義」(03)

( それが『マインドが絶えず “それ” ヘと向かっていること、それが捧げものだ』という意味だ ) 宇宙的存在 以外に 何ひとつ、マインドの中身であってはならない、ということ。 私が「マインドを捧げよ」と言うのは、「器を捧げよ」ということだ −−− 中身なら…

第10章「全一であることの奥義」(02)

( あなたは どこにも 過去を見つけられない。 それは あなたの 記憶の中にだけ存在する ) もし私に、プライベートな ある記憶、秘密の記憶が あり、しかもそれは私の記憶だけにあり、誰も 知らないとする。 もし私が 死ねば、その記憶は どこに行ってしまう…

第10章「全一であることの奥義」(01)

質問……… OSHO、あなたは しばしば、マインドとは 過去の体験と死んだ記憶の積み重なったものだ、と説明されます。「その生き生きとした表面の現れさえ、それ自体のものではない。 それは実存の源から供給される」と。 昨夜あなたは、マインドは人が神に捧げら…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 19)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(19: 終回) 明かりがあれば、闇は 存在しない。 闇は 「こんなはずではない。 俺は何世紀も、何世紀も ここにいた。 こういうことはよくない。 俺は、ここにいた。 ここには、俺のものがある。 俺は その中にいたんだ」と言…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 18)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(18) (…でも 明かりをつければ、闇は ない ) 実際、闇には 時間がない。 闇は 期間的に あるだけだ。 私が「期間的にある」と 言うのは、一つ、もう一つと 積み重なっていくものではない、ということだ。 だから 闇は 厚く…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 17)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(17) ブッダが 『あなたは何を達成されたのですか ?』と 聞かれた。 涅槃(ニルヴァーナ)を、光明を得た時、彼は「あなたは何を達成されたのですか ?」と 聞かれた。 ブッダは 言った。 「私は何も 達成していない。 ただ、…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 16)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(16) ( そして それは、あなた次第だ ! ) 存在を ただの おののきと恐怖にするか、ただの 苦悩と 死に するか、ただの 長い苦しみにするか。 あるいは、至福、瞬間瞬間 より大きく大きく開かれていく喜びに満ちたものにする…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 15)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(15) 一人の画家が、その木の脇に 立っている。 彼にとっては、その木は 緑に見える。 画家が 一本の木を見る時、その木は ただの緑ではないことを、あなた方は知っているだろうかと、私は思う。 緑には、何千ものタイプが…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 14)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(14) ウパニシャッド 曰く 『この世界を通して、あらゆる ものごとを通して、あなたのマインドを “それ” ヘ 捧げなさい』 いかなる障害も 作り出しては ならない。 相対するものを 作り出しては ならない。 それが何であろ…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 13)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(13) (…自らが課した拷問を 楽しみはじめるなら、その人は 正気ではない、狂っている ということだ。 もう、彼は まともではない ) あなたは、自分自身の愚かさの 殉教者にもなり得る。 あなたは 他の人達から崇められるこ…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 12)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(12) この経文 曰く 『マインドが絶えず “それ” ヘと向かっていること、それが捧げものだ』 マインドは 絶えず継続して、隙間なく “それ” に向かって 流れていなければならない。 あなたが世間から 神を引き離しているのに…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 11)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(11) ( 宗教は、相対するもののない世界だ ) だが、宗教は 両極に 分かたれている。 我々が 宗教を見るとき、それは 分かたれている。 というのも、まさに その 見ることそのものが 宗教を 分裂させてしまうからだ。 それは…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 10)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(10) ( 老子曰く 「天と地の間を 一寸 分けることが、全てを 分かつ。 善と悪の間を 一寸 分けることが全てを 分かつ」 何一つ、区別すべきではない ) 宗教は 道徳ではない。 宗教は道徳を 超えている。 道徳は 区別なくし…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 09)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(09) (…クリシュナは どこにいても くつろいでいられる。 たとえ地獄にいても、彼は そこで踊っていられる。 というのも、地獄でさえ 彼にとっては “それ” だからだ ) 私は、ジャイナ教徒はクリシュナを 地獄に送り込んだ …

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 08)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(08) シュバイツァーは 「ヒンドゥー教徒は 生を否定している」と 言った。 彼は 間違っている。 彼は ブッダのことを 考えていたからだ。 イエスがユダヤ教徒であるのと 同じように ブッダは ヒンドゥー教徒だった。 が、…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 07)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(07) ( だから、捧げる ということは 全一だ ) しかし、もしあなたが 世界を分割するなら、存在を 両極に分けるなら、とても深い分裂状態に陥る。 そして、あなたのマインドは 自分の意図とは 反対へと動くだろう。 それに …

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 06)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(06) (…マインドの 舵を取ろうとすると、統制のとれない状態になる。 すると、混乱状態と 向き合うことになる ) 静寂を 求めれば求めるほど、マインドは 静かで なくなる。 マインドを 沈黙させようと すればするほど より…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 05)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(05) (…マインドの まさに本質そのものが自由だから、繋ぎ止めようとすると マインドは反逆し、反逆者になる ) マインドは、あなたが 何もする気がないと あなたに従い、あなたが 何か しようとすると 反逆する。 マインド…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 04)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(04) ( 人間の自由とは、人間のマインドのことだ ) (…人間のマインドは 人間の自由になる。 そこで 一つのこと、理解されるべき根本的なことは マインドは 自由であるからこそ 捧げものになる ということだ ) あなたは 自分…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 03)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(03) (…何者も、ある考え方を あなたに押しつけられない ) あなたが 唯一選択できるのは、マインドに関してだけであり、唯一の自由は マインドに関してだけだ。 あなたの 実存は存在に 根差しているが あなたのマインドは …

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 02)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(02) (…三つ目、他の道を選択できて、初めて あなたは 何かを捧げられる。 もしあなたが 捧げないで いられるなら 捧げられる ということだ。 その時、それは あなたの選択だ ) 人間は ちょうど、木のように根づいている。 …

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 01)

第9章「人間は神に何を捧げられるか ?」01 『マインドが常に “それ” ヘと向かっていること、それが アルギャム −−− 捧げものだ』 人間は、一体 何を神に捧げられるだろう ? それは、どんな 捧げものだろうか ? 我々は、自分達が持っているものしか 捧げられ…