saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章「全一であることの奥義」(05)

 

 こんな話が ある。

その話は すばらしい、その話は 詩的だ。

そして 多くのことを語っている。

 

その話によると、「ブッダが 光明を得たとき、全宇宙が喜びに満ち、花が空から降り注がれ、神々が 彼のまわりで踊り始め、神々の王であるインドラ自身が 手を合わせて やって来た。

そして、彼は ブッダの足元にひざまずき、彼に明け渡した。

木々は季節でもないのに 花を咲かせ始め、鳥たちは季節でもないのに歌い始めた。

そして、全存在が ひとつのお祝いになった」と 言われている。

 

その話は 詩的だ。 そんなことは決して起こらなかった。

だが、深い意味で、それは 起こった。

 

その話は 象徴的だ −−− それが起こるべきことだから だ。

どこかで だれかが 覚者(ブッダ)の境地を達成したら、どうして全存在が 豊かにならずにいられるだろう ? 

存在は その波動を 感じ取るだろう。

全宇宙が 幸せを感じるだろう。

 

だから、詩的な象徴を通して ひとつの事実が

そういう表現で 示されたのだ。

だが、「それは 歴史的な 事実なのか、そうでなければ、その話は 嘘に違いない」などと考え続けている馬鹿な、愚かなマインドが ある。

彼らには 二つの選択しかない。

彼らは「その話は歴史的な事実に 違いない。 それでは季節はずれの 木から花が咲いた という、その証拠は どこにあるのか ?

証拠はどこだ ?

歴史的な証拠が必要だ。 証拠が なければ、その話は嘘だということだ !」と 言う。

 

彼らには、事実を越えた世界、嘘を越えた世界 −−− 他の表現方法では 表現できない多くを 表現する詩の世界 −−− 

そういう世界が あることが わからない。

その話は ただ、全世界が ひとつのお祝いになったことを 暗示しているだけだ。

それは、そうだったに違いない。

それは、そうでなければならない。

それは、そうだったのだ ! 

 

そのマインドが 捧げられた時、中身なしのマインド、ただ 器だけのマインド、浄化され、純粋で、空っぽ のマインド −−− その器が 捧げられたとき、それは捧げるに値する。

神ですら、それによって、より いっそう豊かになる。

というのも、神は それによって、より 神聖になるからだ。

 

そこで もうひとつ、神は 固定した実体ではない。

神とは 創造する力であり、活動する力だ。

だから、人間だけが 進化しているのではない。

神も また進化している。

普通一般の論理の中に 縛られている 我々の中には

「神は進化できない」という考え方の人もいる。

「もし神が進化するなら、神は 完全ではない」ということになるからだ。

どうして 完全なるものが 進化できる ? 

普通の論理からすれば、何かが 完全から、もっと完全になる とは 考えられない。

それは 考えられない −−− 

非論理的に 思える ! 

が、生は あなた方の 論理には 縛られない。

 

完全は より完全になり、もっと豊かになる可能性が ある。

完全は 進化する。 それは あらゆる瞬間において完全だ。

それでも まだ、それは 固定したものではない。

 

(05) 終わり (06)ヘ 続く