こんな話が ある。
その話は すばらしい、その話は 詩的だ。
そして 多くのことを語っている。
その話によると、「ブッダが 光明を得たとき、全宇宙が喜びに満ち、花が空から降り注がれ、神々が 彼のまわりで踊り始め、神々の王であるインドラ自身が 手を合わせて やって来た。
そして、彼は ブッダの足元にひざまずき、彼に明け渡した。
木々は季節でもないのに 花を咲かせ始め、鳥たちは季節でもないのに歌い始めた。
そして、全存在が ひとつのお祝いになった」と 言われている。
その話は 詩的だ。 そんなことは決して起こらなかった。
だが、深い意味で、それは 起こった。
その話は 象徴的だ −−− それが起こるべきことだから だ。
どこかで だれかが 覚者(ブッダ)の境地を達成したら、どうして全存在が 豊かにならずにいられるだろう ?
存在は その波動を 感じ取るだろう。
全宇宙が 幸せを感じるだろう。
だから、詩的な象徴を通して ひとつの事実が
そういう表現で 示されたのだ。
だが、「それは 歴史的な 事実なのか、そうでなければ、その話は 嘘に違いない」などと考え続けている馬鹿な、愚かなマインドが ある。
彼らには 二つの選択しかない。
彼らは「その話は歴史的な事実に 違いない。 それでは季節はずれの 木から花が咲いた という、その証拠は どこにあるのか ?
証拠はどこだ ?
歴史的な証拠が必要だ。 証拠が なければ、その話は嘘だということだ !」と 言う。
彼らには、事実を越えた世界、嘘を越えた世界 −−− 他の表現方法では 表現できない多くを 表現する詩の世界 −−−
そういう世界が あることが わからない。
その話は ただ、全世界が ひとつのお祝いになったことを 暗示しているだけだ。
それは、そうだったに違いない。
それは、そうでなければならない。
それは、そうだったのだ !
そのマインドが 捧げられた時、中身なしのマインド、ただ 器だけのマインド、浄化され、純粋で、空っぽ のマインド −−− その器が 捧げられたとき、それは捧げるに値する。
神ですら、それによって、より いっそう豊かになる。
というのも、神は それによって、より 神聖になるからだ。
そこで もうひとつ、神は 固定した実体ではない。
神とは 創造する力であり、活動する力だ。
だから、人間だけが 進化しているのではない。
神も また進化している。
普通一般の論理の中に 縛られている 我々の中には
「神は進化できない」という考え方の人もいる。
「もし神が進化するなら、神は 完全ではない」ということになるからだ。
どうして 完全なるものが 進化できる ?
普通の論理からすれば、何かが 完全から、もっと完全になる とは 考えられない。
それは 考えられない −−−
非論理的に 思える !
が、生は あなた方の 論理には 縛られない。
完全は より完全になり、もっと豊かになる可能性が ある。
完全は 進化する。 それは あらゆる瞬間において完全だ。
それでも まだ、それは 固定したものではない。
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