2016-10-01から1ヶ月間の記事一覧
(…何であれ、あなたがしていることが、今のあなたを 変えないのなら、それはまったくあなたを変えないだろう。) 時間は 助けにならない。 時間だけでは 助けにならない。時間は その現象を 深めはするが、時間だけでは 助けにならない。しかし、あなたは 敏感…
(…あなたは、どんなことでもイメージできる。 が、それは何ら、あなたの役に立たない。)が、マインドは 常に、偽の代用品を 見つけようとする。 偽の代用品は 安上がりだからだ。 もし庭で 本物の薔薇を 育てたいなら、時間がかかる。 忍耐と努力を要する。 …
…略…我々もまた、自分と 取り決めをしている。 我々は、自分の顔を 誰にでも見せる。 が、自分自身には 決して見せない。それは、我々が自分の顔を感じないようにするために、自分自身と交わした 深い取り決めだ。ベールをしたままでいる方法は、自分の関係…
…( 関係性は鏡であることを、常に心に留めておきなさい。 もしあなたの瞑想が深くなっていたら、あなたの関係性は変わる---まったく違ったものになる!) 暴力ではなく、愛が あなたの関係性の 基調になるはずだ。今のあなたでは、暴力が 関係性の基調になっ…
瞑想をすると、あなたは 自分一人で、もっともっと楽しく感じるようになるだろう--- 覚えておきなさい ---それは、自分と ともにあるということだ。自分一人でいる方が、人といるより幸せだ というのは、奇跡だ。我々にとっては、誰かといると、楽しいか、そ…
(…もしあなたが 進歩しているなら、あることが自然に起こり始める。その一つは、以前より、もっともっと充足を感じるということだ。) 実際、瞑想が 完全に成就されると、その人は まったく充足し、瞑想を忘れてしまう--- 瞑想は 一つの努力であり、その人が …
多くの探求者にとって 難しいのは、自分たちが 進歩しているのかどうか、あるいは、ある段階で ちょうど宙ぶらりんの状態になり、ただ 同じことの繰り返しなのではないか どうかを、知ることです。 瞑想者が、たえず進歩し続けていることを示す要因を、詳し…
(…その道は、極めてデリケートなのだ!) ある人が ブッダのところを訪れ、「死の向こう側にも生命は存在するのでしょうか?」と聞いた。すると ブッダは こう言った。 「本当に それに関心があるのかね?」と。すると男は「もちろんです」と 言った。 が、そ…
(…真理が重要であり得るのは、その真理なくしては、あなたが自由でいられないと感じる時だけだ。) が、そうであれば、真理は 手段としての 道具的な価値がある。それが ギリシャマインドと、東洋マインドとの あり方の違いだ。そこに 矛盾はない。 私は「真理…
(…そうなると、とても難しいことが 理解されねばならない。)ここに 光がある。 なのに、あなたは 目を閉じている。 目を閉じていて、それでも 光があると思うかね?無論、論理的に言って、外見から見て 明らかに、目を閉じることで 光は破壊できない。 光は …
(…ヒンドゥー教徒曰く「もしあなたが完全にリラックスしたら、この岸が向こう岸なのだ」) そうしたら、向こう岸に 行くこともない。もしあなたが 完全にリラックスし、完全に明け渡すなら、この岸が 向こう岸なのだ。 ヒンドゥーマインドにとって、理論、哲…
(…「理論は工夫に過ぎない」とは、あなたの身体に刺さった矢を引き抜く助けに過ぎないということだ。) 実際、理論は重要ではない。我々は、多くの おかしな理論を作り出した。 が、ブッダや マハヴィーラ、彼らは言う。 「もし理論が、あなた自身の束縛を越え…
…(真理は手段だ。 そして自由が目的だ。)ゆえに解脱(モクシャ)が あらゆるヒンドゥーの考え方の、ヒンドゥーの 最終的な目的だ--- 解脱(モクシャ)が。真理は 人が自由になるのに 役立つ--- だから、真理を探求するがいい。が、自由を獲得する という、より大…
…宗教は真理の探求であると信じられています。 でも、いつかの夜、あなたは『ギリシャマインド、科学的な傾向をもったマインドが真理を探求するのに対して、東洋マインド、宗教的マインドは、解脱(モクシャ)、自由を探求する』とおっしゃいました。 でもあな…
(…それが あなたの考えになれば、何もできない--- が、それは、あなたがもう完成しているからではなく、その 考えゆえに何もできない ということだ。) もしあなたが「もう自分は出来上がっているのだから、何もできない。 あらゆることが 私のマインドに収ま…
(…それが難しいのは、あなたが決意しないからだ。 もしあなたが決意すれば、不可能なことは何もない。 まさに その決意で、変革が始まる。) マハヴィーラに関する こういう話が伝わっている。彼は 家を出ることに決めた。 が、その時、彼の母親は まだ生きて…
こんな話がある。仏教の僧侶が 村を通り過ぎようとしていた。 サニヤスを取る前の彼は、その村の人間だった。同じ村の 美しい娘が その彼を愛していたことがあった。 最初 彼女はその僧侶を見て、自分の愛した人だと認識するのは困難だった。 彼は すっかり…
(…サニヤスは、その自分へのイメージを捨てる 一つの方法だった。)ヒンドゥー教徒の社会が 四つのクラス--- バラモン、クシャトリア、バイシャ、スードラ--- に 分かれていることを観察したことがないかもしれないが、実際そうなっている。が、サニヤシンは …
(…両親、教育等によって決められたことは、究極的なものではない。) 究極的には、あなたは 自分の主人であり続ける。あなたは、いつでも その決められたことを 放り出せる。それは難しい。が、不可能ではない。 それは 難しい。 それは 着物を脱ぎ捨てるよう…
(…「人間は、その幼児期に人格のおおよそが形成される」というのは正しい。 そこには、多くが暗示されている。) ある心理学者は こう言っている。 「あなたは タブラ・ラサ--- 白紙の状態で この世に生まれてきた。 最初の五年から七年は、全てが その白紙の紙…
別の例を挙げよう。ヒンドゥー教徒は 「すべての人間に魂がある。 その魂は 永遠であり、純粋であり、神聖だ」と 何千年もの間、ずっと信じ続けてきた。今世紀、グルジェフは こう言った。 「自分を 欺かないように。 魂を獲得するのは とても困難なことだ。…
ラム-ティルタは言った。 「あなた方は信じるかもしれない。 信じないかもしれない。が、私が世界を創った。 あなた方は信じるかもしれない。 信じないかもしれない。が、これらの星々は私が運営している」と。 彼は 正気ではない。もし彼の言葉の 表面的な…