saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

2016-04-01から1ヶ月間の記事一覧

第九章「これでもない、それでもない」01

“このような「如」の世界には、 自己もなく、また自己でないものもない。 この実在とただちに調和するためには、 疑いが起これば、ただ「二ではない」と言うがいい。 この「不二」の中で、何一つ分離されるものもなく、 また排除されるものもない。 時と所は…

第八章 信を生きる by OSHO, (12)

(…最も美しいもの、最も貴重な何かが花開く。 そしてそれこそが信頼という花だ。) “一撃の下に軛は断たれて、 一切は止まることなく流れ、また記憶する者もいない。 すべては空にして明瞭、 心力を労することなく、自ずから光明を放っている。 ここではもう、…

第八章 信を生きる by OSHO, (11)

(…だからこそ東洋の我々は、瞑想を強調してきた。 そして西洋では、道徳を強調してきた。) 初めて ウパニシャッドが 西洋の言葉に翻訳された時、学者は困惑した。 ウパニシャッドの中に 十戒に類するようなものを何ひとつ発見できなかったからだ。「かくする…

第八章 信を生きる by OSHO, (10)

それに この人たちは、あれこれやってきており、その長いリストを持っている。 たくさんのことを成し遂げているのに、未だに神は相変わらず遠くにいる。この人たちは 信頼していない。 この人たちはまだ〈生〉と闘っている。 〈生〉を、その起こるがままに …

第八章 信を生きる by OSHO, (09)

(…真実を見ることが、人の内側深くに信頼を起こす。 その事実を見ることによって、「信」が起こる。) 私が 生まれたものなら、私は いつか死ぬだろう。 単純な事実だ。私がそれを受け容れるのではない。 どんな拒絶もないのだから。私は ただ信頼する。私が 生…

第八章 信を生きる by OSHO, (08)

(…その強調は、それと反対のものがどこかに隠れていることを示している。) 誰かに「あなたを愛している。 あなただけを」と言う時、そこには 疑いが隠されている。 なぜ「あなただけを」と言うのだろう。 どうして、そんなことを言うのか。 なぜ、それを 強調…

第八章 信を生きる by OSHO, (07)

(…これこそが仏陀の平安、全面的静寂だ。) 達成すべき何物もなく、達成する その者もいない。 行くべき所もなく、行く その者もいない。 あらゆるものが 空だ。突然、努力のすべてが 消える。 あなたは どこへも向かっていない。 あなたは 笑い出す。 あなた…

第八章 信を生きる by OSHO, (06)

(…彼は決して「一」とは言わない。 というのも、どうして「一」と言えよう。) 「一」しかないのなら、どうしてそれを「一」と言えるかね。 「一」が 意味を持つためには「二」が必要だ。もし、二番目の、二つ目の可能性がないのなら、それが ひとつだというこ…

第八章 信を生きる by OSHO, (05)

(…自分の掌にのせられるような小さな石ころでさえ、その全体を見ることはできない。) どんなものでも、思考(マインド)には その全体を見ることはできない。私は あなたを見ている。 だが あなた方の背中は隠れている。あなた方は 私を見ていて、私の顔は見え…

第八章 信を生きる by OSHO, (04)

“静かなるものの中の動くものを 動くものの中の静かなるものを想え。” 何かが静止しているのを見ても、騙されてはいけない。それは静止していても、何かは 既に動いている。 今や 科学者達は、あらゆるものは 動いている、この静止した壁や 岩さえも動いてい…

第八章 信を生きる by OSHO, (03)

(…非論理的なことが 入って来るのを許したら、それは思考(マインド)を完全にしめ出す---思考(マインド)は落ちる。) 〈生〉の 馬鹿らしさを見たら、矛盾を通して動く その〈生〉のやり方、対立物を通して生きる その〈生〉の やり方を見たら、人は思考(マイン…

第八章 信を生きる by OSHO, (02)

( …〈生〉は両極性の中に存在する。だが思考(マインド)は 一方の極にしか存在し得ない。) だからこそ思考(マインド)は 偽りなのだ。そして 思考(マインド)は その一部分を 全体にしてしまおうとする。思考(マインド)は言う。 「私は この人が好きだ。そしてた…

第八章 信を生きる by OSHO, (01)

“静かなるものの中の動くものを、 動くものの中の静かなるものを想え。 そうすれば、動なる姿も、静なる姿も、ともに消える。 そのような二相が在ることを止めれば、 一そのものも留まり得ない。 このような究極の地には、 どんな規則も描写も当てはまらない…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑮

朝になれば、あなたは起き出し、一日 働く。 たくさんの仕事、出会い、関係、なにもかも変化する。 様々な気分が 現われては消える。 ある時は 腹を立て、ある時は 幸福な気分になり、ある時は 悲しく、ある時は とても嬉しい。ある時は 消極的になり、ある…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑭

究極なるものに 原因はない。 なぜといって、その原因が どこから来ると言うのか。その究極なるものこそ全体だ。 究極なるものは、関係ではない。 何と関係できると言うのか。 それは 独り在る。 では、どうしたらいい。 どう言ったらいい。 何かに関係があ…

「信心銘」by OSHO, 第七章 ⑬

“想いがどんな区別もしなければ、 万物は、そのあるがままで、 ただひとつの精髄の顕われになる。 この精髄を理解することが、 あらゆる混乱からの解脱だ。 一切が等しく見える時、 永遠の自己に到達している。 そこは比較も不可能な、 因果の絆の断たれたと…

「信心銘」by OSHO, 第七章 ⑫

(…目撃とともに、夢は消える。そして、夢と一緒にあらゆる幻影、マーヤは消える。)そうすれば、あらゆるものが、その ひとつの精髄に 属していることがわかる。樹々は、形こそ違うかも知れないが、その中の 無形のものは ひとつだ。 岩は樹と ひとつだ。 樹は…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑪

“もし、ひとつの眼が眠らなければ、 一切の夢は自ずから止む。 もし、想いがどんな区別もしなければ、 万物は、そのあるがままで、 ただひとつの顕れになる。” そして あなたが ひとつになった時----。 いいかね、今は、あなた方には 二つの目がある。その視界…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑩

“もし、ひとつの眼が眠らなければ、 一切の夢は自ずから止む。 もし、想いがどんな区別もしなければ、 万物は、その あるがままで、 ただひとつの精髄の顕われになる。” もし、ひとつの眼が眠らなければ----。この二つの目は いつか眠らなければならない。 こ…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑨

(…変容は決して段階的なものではあり得ない。それは常に即座のものだ。) ジャイナ教に こんな話がある。 ある男が 一日の仕事から疲れて家に帰って来た。 妻が 彼の行水の世話をしていた。これは古い話だ。 今では どんな女性も 夫の汗を流したりはしないが。 …

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑧

(…ここには大学者もいる。だがその人たちは、自分の学識で一杯になっている。 アーナンダもいる。だが彼は、私に対するあまりにも多くの愛情と執着で一杯になっている。 このマハーカシャップはただ空っぽだ。 空っぽの家だ。彼は消えてしまっている」と。 …

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑦

(…まわりには無数の人間がいるのに、その誰とも競争している。人は気が違ってしまう。こんなことは不可能だ。決して、満足を感じるような瞬間に到達することはできない。どうやって、そんな瞬間が可能になるかね。たとえ皇帝でも---。) こんな話を聞いたがあ…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑥

なぜ、あなたは ある人が好きなのか。 どうして、ある物が好きなのか。人間は ひとまず措いておこう。 あなたは、なぜ ある物が好きなのか。物ですら、エゴの助けになる。 となりの人が 大きな車を買えば、あなたは、もっと大きな車を 買わなければならない…

「信心銘」by OSHO, 第七章、⑤

彼は 必ず破壊する。 そして、夢はハートに密接している。人は、夢を自分のハートだと思っている。だから、夢が破壊されると、人は自分が破壊されているように感じる。 それはまるで、誰かに 殺されかかっているようなものだ。ヒンドウー教徒は、このことに気…

「信心銘」by OSHO, 第七章、④

(…瓦をひとつ取り除けば、家全体が すでに瓦解への道を踏み出している。) 昼のあいだ夢を見ずに 物事を見ることができたら、夜にも、夢は 少しずつ少なくなっていく。 なぜなら、夜とは、昼間の反映に他ならず、同じものの継続だからだ。昼間が変われば、夜も…

「信心銘」by OSHO, 第七章、③

(…内側深くのどこかでは、物事は 実は自分が見ているようなものではないと知っているからだ。) だがあなたは、もし自分が事の真相を見たら、それは あんまりで、自分には重すぎるに違いない、自分は それに耐えられないだろう、と思っている。それを少し甘く…

「信心銘」by OSHO, 第七章、②

思考(マインド)には、たったひとつの能力しかない。それは 夢を見る能力だ。 この夢を見ることは、起きているあいだでも続いている。 僧璨 やイエスは、あなた方が一度でも目が醒めたことがあるなどと信じないのはそのためだ。 なぜなら、夢には、ひとつの質…

「信心銘」by OSHO, 第七章、①

第七章「一切の夢が やむとき」P.283~ “安心も不安も迷いの故だ。 光明とともに、好悪は消える。 すべての是非は、無知なる解釈によって起こる。 夢のようなもの、空中の華のようなもの、 捕らえようとするのは愚かなことだ。 得だとか、正しいとか、間違っ…