saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

2018-05-01から1ヶ月間の記事一覧

「信心銘」第五章 空の世界 by OSHO

(第五章 空の世界, P. 214~抜粋) 略 欲望(マインド)とは、自己破壊過程だ。欲望(マインド)が 消えないかぎり、人は いつまでも乞食のままだ。何を獲得できても、それは、無益に終わる。人は 満たされぬままだろう。 だから、もし この欲望(マインド)を解体…

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あなたが、信頼することができたら、つねに何かが起こり、あなたの成長を助けるだろう。あなたは与えられるのだ。ある特定の時期に必要なものは何であろうと、あなたに与えられる。決してそれ以前にではない。それが必要なときにしか得られない。 そして、一…

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自分の人格を 落とさないかぎり、 あなたは自分の インディヴィジュアリティ (個であること)を 見いだすことなどできない。個であることは、 存在から与えられている。人格は 社会が押しつけたものだ。 人格は 社会のなかでは都合がよい。 社会は 個である…

OSHOジャパンの 投稿記事です。

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「信心銘」Neither This Nor That by OSHO

「第二章 道は完全だ」(04) (…だから、医学を学ぶには、西洋に行かなければならないし、瞑想を学ぶには、東洋に来なければならない。) だが、その両方が極端なのだ。 だから両方とも危険だ。極端は 常に危険だ。 その危険とは、車輪が回転して、東洋が物質的…

「信心銘」Neither This Nor That by OSHO

「第二章 道は完全だ」(03) いいかね、極端に走ってしまったのは、人間だけではない。 社会もまた極端に走ってしまった。東洋は 内向的なままだ。 それゆえの貧困だ。誰がそれに責任があるのか。何百万という人間が 毎日死んでいる。 それに 生きている人間…

「信心銘」Neither This Nor That by OSHO

「第二章 道は完全だ」(02) そうなったら、解決されるべき問題など何もない。〔生〕は もはや謎ではない。それは 生きるべき、楽しむべき神秘、踊るべき舞踏だ。そうなったら、人は〔生〕との どんな葛藤の中にもいない。そうなったら、人は ここで何をやっ…

「信心銘」Neither This Nor That by OSHO

「第二章 道は完全だ」(01) ニーチェは言う。 「人間は超えられるべきものだ。人間は、存在ではない。 動物には存在がある。神には存在がある。 だが、人間は まだ存在になっていない。 人間は ひとつの移行、過渡期だ。 ひとつの完全から 別の完全への移行…

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