saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第8話 ーーー Q&A 最初の質問 (01)

「五つの知性」

最初の質問 ーーー
“ 知性が悟りへの扉になることはできますか ? それとも悟りは明け渡しを通してしか達せられないのでしょうか ? ”



悟りは つねに明け渡しを通してある
だが,明け渡しは 知性を通して 達せられるものなのだ

明け渡せないのは 間抜けだけだ
明け渡すには 大いなる知性がいる
明け渡しというポイントを 見抜くことは 洞察のクライマックスなのだ

自分が存在と別々ではない というポイントを見抜くことは
知性が あなたに与え得る 最高のものなのだ


知性と明け渡しとの間には 何の衝突もない
明け渡しは 知性を通じてある
ただし,あなたが明け渡したときには
知性もまた明け渡されている
けれども,明け渡しを通じて 知性は自殺を犯す

それ自身の 空しさを見抜いて
それ自身の 馬鹿馬鹿しさを見抜いて
それがつくり出す 苦悩を見抜いて
それは 消え失せる

だが,それは 知性を通じて 起こるのだ

そして,とくに仏陀に関して言えば
その道は 知性の道だ

ブッダ (buddha) ” という まさに その言葉からし
“ 目覚めた知性 ” を 意味する


般若心経の中で使われている言葉の 四分の一は “知性” を意味する
その言葉というのは,ブッダ (buddha)=目覚めた
ボーディ (bodhi)=目覚め
サンボーディ (sambodhi)=完全に目覚めた者
アビ・サムブッダ (abi sambuddha)=完全に目覚めた者
ボーディサットヴァ (bodhisatttva)=完全に目覚める用意のできた者 ーーー

すべて “ 知性 ” を意味する
“ ブッドゥ (budh)” という語源に帰着する “ブッディー (buddhi)” = 知性という言葉も
また 同じところから来ている
“ ブッドゥ (budh) ” という語源には たくさんの次元がある
英語には 一語として それを翻訳できる言葉がない
それは 多くの含みを持っている
それは とても流動的で 詩的だ

ほかのどんな言語にも
“ ブッドゥ ”のような これほどたくさんの意味を持った言葉は存在しない
“ ブッドゥ ” という言葉の中には 少なくとも 五つの意味がある


第一は 目を覚ますこと
自分自身を 起こすこと
そして ほかの人たちの 目を覚ますこと
目覚めていること ーーー

その意味では,悟りに至る者が 夢から覚めるように覚めるところの
迷いの まどろみの中に眠りこけていること とは 対照をなしている
それが知性 = ブッドゥの 第一の意味なのだ
あなたの中に 目覚めをつくり出すこと ーーー

普通,人間は 眠りこけている
自分が 目覚めている と 思っている間でさえ
あなたは 目覚めてなんかいない

道を 歩いて いる ーーー
完全に 目覚めてだ
あなたの 心の中ではね
だが,仏陀の 視界(ヴィジョン) から 見たら
あなた は 眠りこけている
なぜならば 千と一つの 夢や 思考が
あなたの内側で 騒ぎ立てているからだ

あなたの 内なる光は とても曇っている

それは 一種の眠りだ

そう,あなたの目は 開いている
それは 誰が見てもわかる
けれども 夢の中で,眠りの中で
目を開いたまま歩くことのできる人たちもいる

そして 仏陀は言う
あなたは 眠りの中で 歩いているのだ,と
目を 開いたまま ーーー

けれども,あなたの 内なる目は 開いていない

あなたは まだ 自分が誰か を 知らない
あなたは まだ 自分自身のリアリティーを のぞき込んでいない
あなたは 目覚めていないのだ

思考で いっぱいの 心(マインド)は 目覚めてなんかいない
目覚められる はずがない

ただ思考や考えることを 落とした 心 (マインド)

まわりを取り囲む雲を 蹴散らし

太陽が 明るく輝き

まったく 雲ひとつない 心 (マインド)こそ
“ 知性 ” を持った,目覚めた 心 (マインド) なのだ




(01)終わり・・・(02)へ 続く