saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第8話 ーーー Q&A 最初の質問 (08)

…(この経典が ザ・ハート・スートラ
般若波羅密多心経 (Prajna-paramita-hrdayam Sutra)と 呼ばれているのは そのためだ
“ 貫く ” こと ーーー )

人々は人生の中の たくさんの物事を 貫こうとする
あなたの 衝動
セックスへの あなたの大変な欲求は
一種の 貫通願望 以外の何ものでもない

けれども,それは 他人を射抜くことだ
その同じ貫通が
あなた自身の実存に向かって 起こらなければならない
あなたは 自分自身を貫かなければならないのだ

もし誰か ほかの人を 貫いたとしたら
それは あなたに 束の間の 一瞥を 与えてくれることはできる

だが もし自分自身を貫いたならば

あなたは いつまでも いつまでも いつまでも 終わることのない

普遍的な,宇宙的な オーガズムに達することができる


男性が 外なる女性に出会う
そして 女性が 外なる男性に出会う ーーー

これは ごく浅薄な 出会いだ
それでも 意味はある
それでも,それは よろこびの瞬間を もたらしてはくれる

内なる女性が 内なる男性に 出会うとき・・・

そして,あなたは 内側に その両方をたずさえているのだ
あなたの 一部は 女性的だ
あなたの 一部は 男性的だ
あなたが 男性であるか女性であるかは 問題じゃない
誰もが 両性具有なのだ

“ ブッドゥ ” という言葉の 五番目の意味は 貫くということだ

あなたの内なる男性が あなたの内なる女性を 貫くとき
そこに ひとつの出会いがある
あなたは〈全体 Whole〉に なる
あなたは〈ひとつ〉に なる

そうしたとき
外なるものへの 一切の欲望が 消え失せる

その 無欲望性の中に 自由がある
ニルヴァーナが ある


仏陀の道は “ ブッドゥ ” の道だ
覚えておきなさい
ブッダ というのは ゴータマ・ブッダの 名前じゃない
ブッダ ” というのは 彼が達した状態のことなのだ

彼の名前は ゴータマ・シッダルタ だった
そうして ある日
彼は ブッダと なった

ある日,彼の “ ボーディ(bodhi) ”

彼の 知性が 花咲いた




(08)終わり・・・(09)へ 続く