( 完全は より完全になり、もっと豊かになる可能性が ある。
完全は 進化する。 それは あらゆる瞬間において完全だ。
それでもまだ、それは 固定したものではない )
たとえば ダンサーだ。
彼の 全ての仕草が完璧だ。
あらゆる瞬間、全ての仕草が完璧だ。
それでも 尚、ダイナミックな動きがある。
全体は 部分より もっと完全だ。
一つ一つのダンスが 完璧であり、尚かつ
別のダンスは、より完璧なもので あり得る。
マハヴィーラには、実にすばらしい概念が あった。
彼は「無限の完全性、多種多様な完全性が存在する。だから神は進化する」と 言った。
私にとって、神とは 進化する力 だ。
そうでなければ、進化は あり得ない。
もし神が 進化しない と すれば
進化は 存在しない ということだ。
なぜなら、進化を通じて 神は 進化するからだ。
これが “それ” の 概念だ。
花が存在するのなら、神が 花開いている ということだ。
人間がいるのなら、神が「人間を している」ということだ。
何が起ころうと、それは神に起こっていることだ。
神なくして、神の外では 何一つ起こらない。
だから、ひとりのブッダが 生まれたとき
全体は より豊かに なる。
ブッダは
「どんな神であれ、礼拝してはならない。 光明を得なさい。
そうすれば、彼らが あなたを礼拝しに やって来るだろう。」と言う。
彼は それを実際に示し、それは 理論ではないと言う −−− 彼は それを実際に知っている !
神々が 彼を礼拝にやって来た。 それは ひとつの体験だ。
それは、何かじっくり 考えるようなことではない。
(06) 終わり (07)ヘ 続く