saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章「全一であることの奥義」(06)


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( 完全は より完全になり、もっと豊かになる可能性が ある。

完全は 進化する。 それは あらゆる瞬間において完全だ。

それでもまだ、それは 固定したものではない )

 

たとえば ダンサーだ。

彼の 全ての仕草が完璧だ。

あらゆる瞬間、全ての仕草が完璧だ。

それでも 尚、ダイナミックな動きがある。

全体は 部分より もっと完全だ。

一つ一つのダンスが 完璧であり、尚かつ

別のダンスは、より完璧なもので あり得る。

 

マハヴィーラには、実にすばらしい概念が あった。

彼は「無限の完全性、多種多様な完全性が存在する。だから神は進化する」と 言った。

私にとって、神とは 進化する力 だ。

そうでなければ、進化は あり得ない。

もし神が 進化しない と すれば

進化は 存在しない ということだ。

なぜなら、進化を通じて 神は 進化するからだ。

これが “それ” の 概念だ。

花が存在するのなら、神が 花開いている ということだ。

人間がいるのなら、神が「人間を している」ということだ。

何が起ころうと、それは神に起こっていることだ。

神なくして、神の外では 何一つ起こらない。

だから、ひとりのブッダが 生まれたとき

全体は より豊かに なる。

 

ブッダ

「どんな神であれ、礼拝してはならない。 光明を得なさい。

そうすれば、彼らが あなたを礼拝しに やって来るだろう。」と言う。

彼は それを実際に示し、それは 理論ではないと言う −−− 彼は それを実際に知っている ! 

神々が 彼を礼拝にやって来た。 それは ひとつの体験だ。

それは、何かじっくり 考えるようなことではない。

 

(06) 終わり (07)ヘ 続く