saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第10章「全一であることの奥義」(07)

 

仏教徒ジャイナ教徒だけが、次のようなことを 言った。

あなたが 光明を得たなら

神々が訪れて あなたを礼拝するだろう と。

彼らは「神々は、無欲になっていない」と 言う。

あなたが 光明を得たら、あなたは無欲になる。

インドラでさえも、無欲になっていない。

神々は 天国に住んでいるかもしれない。

でも、彼らには 欲望が ある。

そして、ブッダと マハヴィーラの存在で

人間の尊厳は その究極の高みにまで 上がった。

 

もしあなたが 無欲になれば

あらゆる存在が あなたを礼拝するだろう。

欲望がない意識とは、“それ” と 一つだからだ。

その 中身なしの マインドは

捧げるに値するだけではない。

神は、それを 必要としている。

神は、それを 待っている。

 

一人の子供が 光明を得て帰れば、父親は 豊かになり

家は そのおかげで 豊かになる。

実際、子供が光明を得て 我が家に帰れば

父親は 自分の子供が 光明を得たことがわかる。

すると、父親は もう 同じ父親では いられない。

だから ブッダが 花開いたとき

全宇宙が 彼とともに 花開いた。

彼は その潜在性を、可能性の極を 示した。

 

今、あなたは到達できないかもしれない。が、あなたは、自分も その高みに 到達できるという可能性を持つ。

全宇宙が

「一人のブッダが誕生した」ことで 自身を持つ。

全宇宙が ひとつの約束、ひとつの確約に なる。

同じことが、一つ一つの かけら、一つ一つの 単位、一人一人の マインドに 起こる −−− 

いいかね、それはあなた次第だ。

 

 

(07) 終わり (08)ヘ 続く