saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (03)

(…各時代を通じて ほとんどすべての人々が この病に かかってきた
彼らは 自分たちの時代は 何か 特別なものだと考える
どんな時代も 特別ではない )

神は あらゆる時代に 生きている
インドで、ヒンドゥー教徒たちは 言うーーー
今は誰も 光明を得ることはできない

それは カリ・ユガ、最後の、最も汚れた時代だからだ
誰も 光明を得ることはできない
ジャイナ教徒たちは言うーーー
誰も 光明を得ることはできない
なぜなら今は パンチャム・カル、第五の時期だからだ
『ダイヤモンド・スートラ』を よく知っている仏教徒たちでさえ
現代では誰も 光明を得られないと 言いつづけている

彼らでさえ、仏陀の言葉を
誰も光明を得られないかのように 解釈しようと している
ちょうど先日の夜
私は『ダイヤモンド・スートラ』の注釈を読んでいた
その注釈に いわく
「たしかに仏陀
真理を少しは理解できる人々は いるだろうし、彼らの功徳は大きい、と言う
しかし、功徳とは光明を得ることではない
功徳はその地盤にすぎない」
そこで その解釈者は 言う
「現代では、光明を得られる人はいない
何がしかの功徳を達成できるのが 関の山だ
あなた方は 光明を得られる然るべき時期を待たなければならない
あなた方の功徳は 大きな助けになる
それは土台を据えるが、ただちに神殿を建てることはできない」
ーーーそうやって 人々は進む


仏陀の言っていることは たんに この事実だ
求道者にとっては、あらゆる時代が類似している
求道者でない人にとっても それはそうだ
仏陀のいた時代でも 光明を得なかった人たちは 何百万人も いる

それは 春のようなものではない
春が来たら 木という木が すべて花を咲かせる、というようなものではない
仮に そうだとしたら、仏陀の時代の人々は すべて光明を得ていただろう
が、光明を得た人は ごくまれだ
だから それは 春のようなものではない
それは 気候風土の 問題ではない
人々に 光明を得させるのは特定の繁栄期ではない


探し、求める人たち、彼らは 達成する
探し、求めない人たち、彼らは達成しない
たとえ時代が 繁栄していてもだ
そんなことは 問題ではない

時代は同じだ、時代は 良くも悪くも ない

時代は〈光明 エンライトンメント〉に対して 反対でも賛成でもない

あなた方が 自分の生は こうなってほしいと望むものは何であれ
時代は あなたたちに その機会を 与えてくれる
時代は 公平だ



(03)終わり・・・(04)へ 続く