saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (04)

(…時代は〈光明 エンライトンメント〉に対して 反対でも賛成でもない

あなた方が 自分の生は こうなってほしいと望むものは何であれ
時代は あなたたちに その機会を 与えてくれる
時代は 公平だ )

それは あなた方に 何も 押しつけない
それはあなた方に ただ 自由を与えるだけだ

あなたは 光明を得ることができる
好きなだけ 光明を得ることができる
あるいは 自分が決めただけ 光明を得ないままでいることもできる
〈存在〉は あなたに協力する

しかし、この観念が 何度も何度も生じる
私は世界の多くの聖典に出会ってきたが、人々は こう考えている
「未来では、ほかの人たちに 何が起こるのだろう ? 」

この観念は ふつうの人間たちの なかにさえ持続している
老人は誰でも こんなふうに昔のことについて語る
「あの 美しい日々ーーー
黄金のように輝かしい あの日々は 何か特別なものだった
いまでは、世の中には 何もない」

そして憶えておきなさい
あなたが 老いたときも、子供たちに同じような 長い話や 大げさな話をするだろう
あなたもまた「昔は良かった」と 言うだろう、ということを



八十歳のとき 妻と一緒に パリに行った男のことを 聞いたことがある
その妻は 七十八歳に近かった
彼らは あたりを見まわした

その老人は 言った
ありさまが 変わってしまった
いまのパリは もうパリではない
五十年前、わしが 三十のときに ここへ来たことがある
あれこそ ほんとうのパリじゃった」

女は 笑った
女の方が より現世的で 実際的だからーーー
彼女は言った
「私の理解は ちがいます
あなたは もう 昔のあなたじゃないわ
ただ それだけの ことよ
パリは 同じーーー
ちょっと 若い人を ごらんなさいましな
彼らは 楽しんでますよ
あなたが若かった頃に楽しんだのと同じくらい うんと楽しんでますよ」


さて、八十歳の男に とっては、パリは 無意味だ
夜の生活こそ パリだ
八十歳の男にとって それは ふさわしくない
彼は もうそれを楽しめるほど 馬鹿ではない
彼は もうそんなに馬鹿になれるほど 若くはない
夢は 消えている

そして私は その妻は正しいと思う
「あなたは 昔のあなたではない
パリは 同じままーーー」


それは あなたにも起こる
あなたは 考えはじめる
子供時代の あの頃は 素晴らしかった
いまでは物事は それほど良くはない

あなたは 今生きている子供たちが かわいそうだと感じる
あなたは 知らないのだ
彼らもまた 次の世代の子供たちを かわいそうだと 感じることをーーー

これは つねにそのように ありつづけてきた
どの人も、自分の時代は 何か特別の質がある、それは革命的なものだ、と 考える


私は 聞いたことがある
アダムとイヴが エデンの園から 追放されたとき
アダムが最初に発した言葉は こうだった
彼は イヴに言った
「ごらん、我々は 偉大な革命的時代を 通過している」
当然、エデンの園から 追放されることは 大きな危機であったにちがいない
誰も 再び そのような危機を 通ってきた者はいない


仏陀は言う
「そんなふうに言ってはならない、スブーティよ」
なぜか ?

それは すべての時代は 同じ質を持っているからだ
空間と時間は あなた方によって 堕落させられることはない
それらは 堕落できない
あなた方は 時間を つかまえることさえできない
それを どうやって堕落させることができる ?

それらは 汚されない

あなた方は 空気や 海なら 汚すことはできるが、時間を汚すことはできない
それとも、できるかね ?

どうやって時間を 汚すことが できよう ?

あなたは それを つかまえることさえできない
あなたが それをつかまえる時までには、それは去っている
あなたが瞬間に 気づく頃には、その瞬間は もう存在していない
それは すでに 過去になっている
それは すでに 歴史になっている
あなたは 時間を汚すことはできない
時間は最も純粋なものの ひとつだ
それは つねに 純粋だ


だから仏陀は言う
「そんなふうに言ってはならない、スブーティよ
そう、その時でも真理を理解する者たちがいる」

真理を理解する者たちは つねにいる
真理は、ある時には 起こり、ある時には 起こらない という質のものではないからだ
真理は つねに そこに在る
それこそ 真理と呼ばれるものだ
つねに そこに 在るものーーー


真理は 時間とはなんの関係もない
それは 永遠だ



(04)終わり・・・(05)へ 続く