saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第五章 「〈光明〉の味 」 (05)

(…真理は つねに そこに在る
それこそ 真理と呼ばれるものだ
つねに そこに 在るものーーー

真理は 時間とはなんの関係もない
それは 永遠だ )

あなたは昼に 真理に達することができる
あなたは夜に 真理に達することができる
あなたは 市場で真理に達することができる
あなたは ヒマラヤで真理に達することができる
あなたが 男であっても 女であっても
子供であっても 若者であっても 老人であっても
真理に達することはできる
あなたは いつ どこででも真理を 達成することができる

なぜなら 真理は いつでも ひらいているからだ

あなたは ただ 真理に対して ひらきさえすればいい

そして 仏陀は言う

“ 静かに澄んだ〈信〉は
たった一念でも 人間を変容させるのにじゅうぶんである ”

たった ひとつの、静かに澄んだ〈信〉・・・
仏陀の語意における〈信 faith〉とは 何か ?

ふつうの 信仰 faith は 恐怖だ
信仰は 恐怖以外の何ものでもない

教会や 寺院や グルドワラに行ってみれば
あなたは、恐怖にかられた人々、おびえた人々を見つけるだろう
彼らは 生におびえ、死におびえ、ただ神のなかに庇護を求めている
無力感を感じ、どこかに何かの 安全保証を求めている
あるいは父や母を 恋しがって、天国に 父や母を投影している
彼らは 成熟していない
彼らは パパやママが いなければ 生きてゆけない

パパは 死んでいるかもしれない
ママは もう生きていないかもしれない
だが、彼らは まだ子供だ
彼らは しがみつくエプロンを 必要としている
彼らは 誰かを 必要としている
彼らは 自分で 生きてゆくことが できない
彼らは 自分自身を 信頼することが できない

あなたが おそれていて、その恐怖のせいで宗教的になるとき、その宗教は偽りだ

その宗教は 一種の 猿の宗教、猿まねの宗教で、模倣的だ

恐怖から 模倣が 生まれる



(05)終わり・・・(06)へ 続く