saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 「 浄土楽園 」 (01)

10、

 “ 世尊は問われた

「どう思うか スブーティよ

 如来がディーパンカラから学んだ法が

 何かあるだろうか ?」

 スブーティは答えた

「いいえ ありません

 おお 世尊よ

 何もありません」

 

 世尊は言われた

「もしだれか菩薩が

『私は調和ある仏国土(ブッダフィールド)を創造する』と言うなら

 彼は虚言を弄することになる

 何故か ?

仏国土の調和』とは スブーティよ

 如来によって無調和として説かれているからだ

 だからこそ 如来は『調和ある仏国土』のことを語った」”

 

 13、

“世尊は言われた

「そしてまた スブーティよ

 ひとりの女あるいは男が

 ガンジス河の砂粒の数ほど何度も

 自分の財産をすべて放棄したとしよう

 そしてほかの誰かが

 法に関するこの講話から

 ほんの四行詩を取り出して

 それをほかの者たちに教え示すとしよう

 そうすれば そのおかげで

 後者の方がより大きな功徳を積むであろう

 測りしれない 数えきれない功徳をーーー」”

 

 14、

 “そこで 長老スブーティは

 法に感動して 涙を流した

 涙を流し終えると 彼はこのように世尊に言った

「おお世尊よ すばらしいことです

 おお世尊よ まったくすばらしいことです

 如来はこの法の講話をいかに立派に解かれたことでしょう

 それを通して 私のなかに認識が生まれました

 そしてそれはまったく知覚ではありません

 何故でしょうか ?

 覚者(ブッダ) 世尊はいっさいの知覚を放棄しておられるからです」”

 

 世尊は言われた

「そのとおりだ スブーティよ

 この上もなく祝福された者たちとは

 この経を聴いても 震えず 畏れず 恐怖に陥らない者たちだ」

 

 さらにまたスブーティよ

 如来の忍耐の完成は実は完成ではない

 何故か ?

 スブーティよ

 カリンガ王が私の手足から肉を切ったとき

 まさにそのときに 私は

 自己に対する知覚も

 生けるものに対する知覚も

 魂に対する知覚も

 個人に対する知覚も

 いっさい持たなかったからだ

 何故か ?

 スブーティよ

 もしあのときに自己を知覚していたとすれば

 私はあのときに敵意も覚えていたにちがいないからだ

 

 さらにまた スブーティよ

 生きとし生けるものの幸福のためにこそ

 菩薩はこのように贈り物を与えなければならない

 何故か ?

 スブーティよ

 生けるものに対するこの知覚ーーー

 それは非知覚にすぎないからだ

 如来が説いたこの生きとし生けるものーーー

 それらは実は生けるものではないからだ

 何故か ?

 如来は現実に従って語り

 真理を語り

〈あるがまま〉を語り

 それ以外は語らないからだ

 如来は偽って語らない」

 

 17、

 “スブーティよ

如来〉は〈真の如姓〉と同義である”

 世尊は問われた

「どう思うか スブーティよ

 如来がディーパンカラから学んだ法が

 何かあるだろうか ?」

 スブーティは答えた

「いいえ ありません

 おお 世尊よ

 何もありません」

 

 

ディーパンカラは、いにしえの覚者(ブッダ)だ

ゴータマ・ブッダ

過去世で、光明を得ていないときに、ディーパンカラの許へ 行った

彼は 弟子として 受けいれてほしかった

だが、ディーパンカラは 笑って、こう言った

「学ばれるべきものは 何もない」

 

真理を 学ぶことはできない

たしかに、何かが理解されなければならないが、学ばれるべきものは 何もない

 

真理は 認識されなければならない

それは すでに そこに、あなたの存在の なかにある

それは 覆いを取られなければならない

だが、 学ぶべきものは 何もない

 

真理は 新しくない

真理は あなたの存在 そのものだ

あなたは 自覚しなければならない

あなたは もっと物知りにならなければならない わけではない

実際のところ、物知りに なればなるほど、ますます あなたは 自覚しなくなる

自分が知っていると 思えば思うほど、ますますあなたは 無知に覆われる

知識は 無知だ

知識ばかりの人は 記憶、 情報、 聖典、 哲学という 暗雲に覆われている

 

ディーパンカラは ゴータマに言った

「学ぶという観点から 考える必要はない

真理は すでに おまえのなかにある

真理は 伝達されえない」

 

それだけではない

ゴータマが ディーパンカラの足に 触れたとき

ディーパンカラは ひれ伏して、ゴータマの 足に触れた

ゴータマは当時、光明を 得ていなかった

彼は非常に とまどい、困惑した

 

そこには 僧の大会衆が いた

誰も、何が起こり、何が行われているのか 理解できなかった

ディーパンカラは いまだかつて、ほかの誰にも そのようなことをしたことはなかった

そこで、仏陀は訊ねた

「何をなさったのですか ?

なぜ 私の足に 触れたのですか ?」

 

 

(01)終わり・・・(02)へ 続く