saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第九章 「 浄土楽園 」 (10)

(… 何度も何度も 憶えておきなさい

それは言葉の不十分さの問題だ、ということを

だから仏陀は 何度も

不十分な言語表現の 犠牲にならないよう あなた方に 注意することを主張しつづける )

 

 “ 世尊は言われた

「そしてまた スブーティよ

 ひとりの女あるいは男が

 ガンジス河の砂粒の数ほど何度も

 自分の財産をすべて放棄したとしよう

 そしてほかの誰かが

 法に関するこの講話から

 ほんの四行詩を取り出して

 それをほかの者たちに教え示すとしよう

 そうすれば そのおかげで

 後者の方がより大きな功徳を積むであろう

 測りしれない 数えきれない功徳を ーーー」” 

 

 慧能 (えのう)は

ーーー 最大の禅師の 一人、 禅宗の 第六祖だが ーーー

金剛般若経(ダイヤモンド・スートラ)』の 四行を聴いて、光明を得たと 言われている

彼は ただ 市場を通り過ぎていただけだった

彼は 何かを買いに行っていた

彼は〈光明〉のことは 考えてさえいなかった

そして、 誰かが路傍で『金剛般若経』を 読んでいた

その男は、一生、『金剛般若経』を 読んできた

彼は 一種の 学者かオウムであったにちがいない

毎朝、毎夕、その経文を読誦するのが 彼の日課、彼の儀式だった

 

それは夕方だった

市場は ちょうど 閉じようとしていて、 人々は 家路についていた

そして 慧能が 通りかかった

彼は、四行を 聴いただけだった

彼は 口もきけないほどの 衝撃をうけた

彼は  一晩中、 そこに 立ちつくしていた と 言われている

金剛般若経 (ダイヤモンド・スートラ)』は 終わり、 市場は閉まり、 それを読誦していた男は去った

だが彼は そこに立って、 立って、立ちつくしていた・・・

 

朝までに、彼は まったく別の人間になっていた

彼は 二度と家には 帰らなかった

彼は 山へ行った

世間は どうでもよくなったのだ

 

ただ 聴く だけでーーー ?

そうだ、あなたが 聴くすべを 知っていたら、それは 可能だ

この慧能は、ごくごく純真な心をもっていたにちがいない

彼は すばらしい人だった

 

仏陀は言う

もし誰かが『金剛般若経 (ダイヤモンド・スートラ)』の 四行詩 一節でも 教え示したら

彼の功徳は いっそう大きい

彼の功徳は 測り知れず、数えきれない

ガンジス河の砂数ほど 何回も、財産を放棄した男や 女の功徳より大きい、 と

 

放棄は 役に立たない

理解が 役に立つ

世間の放棄は あなたを どこへも連れていかない

あなたは 理解しなければならない

放棄は 愚かな努力だ

愚かな人たちだけが 放棄する

賢者は あるがままの実態を 理解しょうとする

賢者は まったく 逃避主義者ではない

愚者たち だけが 逃避主義者だ

それは 彼らは 生に 直面できないからだ

彼らは 生に遭遇できない

そして その挑戦を 受けて立つことができない

彼らには ガッツ が ない

 

彼らは ヒマラヤへ行く

彼らは チベットの 僧院かどこかへ 逃げこむ

彼らは 世間から 逃げる

こういう人たちは 臆病者だ

そして宗教は あなたが勇気をもったときだけに可能だ

途方もない勇気が 必要なのだ

 

仏陀は言う

これらの経文は 非常に価値があるから

もし あなたが 開いたハートで、完全に聴くことができれば

もしあなたが これに 敏感であれば

これらの経文は あなたの生を 変容することができる、と

ときとして、たった 一語でさえ そのような変容力になりうる

 

ある男の話を きいたことがある

彼は 慧能のような人だったにちがいない

かなりの年で、六十五歳から七十歳ぐらいだった

 

 

(10)終わり・・・(11)へ 続く