saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第三章 「 ダンマの車輪 」 (13)

(…この経典は あなた方に向かって読まれている
二十五世紀が過ぎた
スブーティは あなた方のことについて 訊ねていたのだ )


先日、 私は あなた方に言った
「あなた方の多くは ボーディサットヴァになる
あなた方の多くは その途上にいる」

スブーティが こういう質問をしたというのは 不思議なことだ
そして もっと不思議なのは 仏陀がこう答えていることだ
「その二十五世紀後の人々は おまえより不運ではない
むしろ、おまえより幸運だ」

なぜか ?
私は 何度も こう言ってきた
あなた方は いにしえの者たちだ
あなた方は 何度も何度も この地上を歩いてきた
あなた方が ダンマを聴くのは これが初めてではない
あなた方は過去世において 多くのブッダたちに巡り会ってきている
あるときは クリシュナのような人だったかもしれない
あるときは キリストのような人だったかもしれない
あるときは マハヴィーラのような人だったかもしれない
あるときは マホメットのような人だったかもしれない
だが、あなた方は多くのブッダたち、多くの光明を得た者たちに出会ってきた


あなた方は これほど多くのブッダたちを知って幸運だ
あなた方が もう少し敏感になったら
過去のブッダたちによって あなた方のなかに播かれた すべての種が
芽を出し、開花しはじめる
あなた方は 花咲きはじめる ーーー


仏陀は言う


“ 彼らは スブーティよ
仏智によって如来に知られている
彼らは スブーティよ
仏眼によって如来に見られている
彼らは スブーティよ
完全に如来に知られている ”


これは 実に神秘的だが、ありうることだ
ブッダは 未来のヴィジョンを持つことができる
未来という霧を 見通すことができる
彼の明晰さ、彼のヴィジョンは未知なる未来へ 一条の光を放つことができるほどのものだ
彼は 見ることができる

仏陀は、あなた方が『ダイヤモンド・スートラ』を聴いているのを 見る
ーーーこれは非常に神秘的にみえる

あなた方の立場からすれば、それは ほとんど信じがたいことのようにみえる
あなた方は どうやって現在を見入るか ということさえ知らない
なのに、どうやって 誰かが未来を見ることができるということが 信じられよう ?


あなた方の知っている能力は ただひとつ
それは 過去を振り返る という能力だ

あなた方は 後ろを振り返ることしかできない
あなた方は 過去指向だ

あなた方が 未来について考えることは 何であれ 未来のヴィジョンではない
それは 修正された 過去の投影にすぎない

それは まったく未来などではない

それは「明日」として繰り返されようとしている「昨日」だ


あなたは きのう 何かを味わった
それは甘美だった
明日も またそれが 欲しくなるーーーそれが あなたの「未来」だ

あなたは 誰かを 愛したことがある
未来にも また愛を交わしたくなるーーーそれが あなたの「未来」だ

それは 過去の繰り返しだ
それは けっして未来ではない
あなたは 未来とは何かを まったく知らない
未来とは何かが わからないのは、現在とは何か ということさえ わかっていないからだ

現在は 手に入る
なのに、あなたは あまりにも 盲目だから
すでに ここに在るものさえ 見ることができない


しかし、眼が開く
そうすれば あなたは 見ることができる
現在ではないものを、これから起ころうとしているものをーーー

あなたは その 一瞥を得ることができる

未来を見る方法は、現在を見る方法だ
完全に 現在に在ることのできる人は、未来も 見ることができるようになる


ゴータマ・ブッダは あなたが『ダイヤモンド・スートラ』を聴くことを 見通していた
ーーーこれは 思うだけでも 感極まる
『ダイヤモンド・スートラ』のなかでは、あなた方のことが語られている
だから私は これを選んだ




(13)終わり・・・(14)へ 続く