saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第11章 : 光、生命、そして愛 (02)

 

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( 光は 潜在性であり、愛は その実現だ )

そして、生命は ただの通路だ。

だから「神は 愛である」とは、その意味での愛だ。

愛に到達しない限り、あなたは ただ、途中にいる。

最終地点に 到達したわけではない。

光が始まりで 愛が終わりで、生命は ただの通路にすぎない。

だから、光は 生命なしでも存在できる と、心に 留めておくことだ。

 

物質は、ただの現れ、凝縮されたもの、

密度が高くなったものにすぎない。

そして、生命は ある種の表明だ。

光の中に隠されたものが 表明されたものだ。

生命は 形の現れではない。 生命は ある種の 表明だ。

物質は、単に 光が 凝縮されたものにすぎない。

そこで光は光に留まり、それが凝縮されると物質となる。

そして光が進化して 潜在性を顕現すると、生命となる。

もし生命が 単に生命のままなら、死が 最終地点になる。

 

もし生命が さらに進化すると、愛になる。

そして、愛には 死が ない。

それを 神と呼んでもいい。 何と呼んでもいい。

それらのことが 根本的なポイントだ。

もし あなた方が それらを心に 留めていれば

我々は 経文の中に 入っていける。

 

三つ目は、 この世界全体の中で 

光を除いては、あらゆる物事が 相対的だ ということ。

唯一、 光だけが 一定の速度を有している。

そこで物理学では、光を 時間を計る尺度としている。

 全てが 相対的だ。

唯一、光だけが、ある意味で 絶対だ。

 

光は ある一定の速度で 進む。

一定のあるものは 他に何もない。

だから、光だけが 絶対だ。

光の速度には変化がない、光の速度は絶対だ。

スピードは 絶対だ、 だから 光は 神秘だ。

 

光は 何かに対して 相対的に存在していない。

ほかの全ては 光に対して 相対的だ。

それに、何ひとつとして 光より 速くは進めない。

もし何かが 光と まったく同じ速さで進むとすれば 

それは 光 に なってしまうからだ。

もし我々が、光と同じスピードで 石を投げられるなら 

その石は 光になってしまう。

光のスピードで進むものは、光になる。

 

 

(02)終わり…(03)へ 続く