(02)
( それと 同じことが 無意識について言える )
だから あなたが、気づく以外に 何か出来ないでしょうか と 聞くのは、理にかなわないことだ。
あなたは 気づいていなければならない。
他に どうすることもできない。
もちろん 気づくには 多くの方法がある −−− それは また別の話だ。
光を 作り出すには 多くの方法がある −−− が、光を 作り出さなければならない。
火を作り出すことができれば、闇は なくなる。
ケロシンランプを使って 光を作り出せば、闇は なくなる。
だが どういう場合であれ、光を作り出す方法が 何であれ、光を作り出さなければならない。
そこで、 光は 必須だ。
そしてこの質問に関して 私が言うことは、 どれも 光を生み出すための方法についてだ。
それらは 気づきに変わる 杮選択肢ではない −−− 気づきに 取って変われるものは 何もない。
気づきこそ、闇を 追い出すための 無意識を追い出すための、唯一の可能性だ。
だが、どうやって 気づきを生み出せばいい ?
そのための、最も純粋な一つの方法について話そう。
意識と無意識の境界で 起こることが 何であろうと 内側で気づいていること −−− そこで 気づいていること。
怒りが そこにある。 怒りは闇の中で 生み出された。
怒りは 無意識に 根差している。
意識には 幹と枝しか、現れてこない。
根、 種、 エネルギーの源は、 無意識の中にある。
あなたは 遠いところにある 枝にしか 気づかない。
それらの枝を 意識しなさい。
意識すれば するほど、あなたは もっと 闇の中を 見入ることができるようになる。
闇の中を ある時間、深く見入っているうちに、薄暗い 光が そこに現れ始める、という経験がないだろうか ?
闇に 神経を集中していると 光を感じ始め、光を見始める。
あなたは 自分を 訓練できる。
すると、闇それ自体の中にある 一定量の光が 現れる −−− この世界には、 絶対は 何一つ存在しないからだ。
何一つとして、絶対というものは 存在しない。
すべてが 相対的だ。
我々が 闇と呼ぶとき、それは 絶対なる闇ではない。
それは ただ、光が 少ない というだけだ。
もしあなたが 闇の中を見入ることを 実践すれば それが できるようになる。
見なさい !
闇に 焦点を当てなさい !
そうすれば 徐々に、あなたの目は強くなり
光を 見始めるだろう。
内なる闇、 無意識も 同様だ。 それに見入ることだ。
だがそれは、あなたが 行動的でないとき、初めて見える。
(02)終わり(03)ヘ 続く