saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (02)

 

(02)

( それと 同じことが 無意識について言える )

 

だから あなたが、気づく以外に 何か出来ないでしょうか と 聞くのは、理にかなわないことだ。

あなたは 気づいていなければならない。

他に どうすることもできない。

もちろん 気づくには 多くの方法がある −−− それは また別の話だ。

 

光を 作り出すには 多くの方法がある −−− が、光を 作り出さなければならない。

 

火を作り出すことができれば、闇は なくなる。

ケロシンランプを使って 光を作り出せば、闇は なくなる。

だが どういう場合であれ、光を作り出す方法が 何であれ、光を作り出さなければならない。

そこで、 光は 必須だ。

 

そしてこの質問に関して 私が言うことは、 どれも 光を生み出すための方法についてだ。

それらは 気づきに変わる 杮選択肢ではない −−− 気づきに 取って変われるものは 何もない。

気づきこそ、闇を 追い出すための 無意識を追い出すための、唯一の可能性だ。

 

だが、どうやって 気づきを生み出せばいい ? 

そのための、最も純粋な一つの方法について話そう。

 

意識と無意識の境界で 起こることが 何であろうと 内側で気づいていること −−− そこで 気づいていること。

 

怒りが そこにある。 怒りは闇の中で 生み出された。

怒りは 無意識に 根差している。

意識には 幹と枝しか、現れてこない。

根、 種、 エネルギーの源は、 無意識の中にある。

 

あなたは 遠いところにある 枝にしか 気づかない。

それらの枝を 意識しなさい。

意識すれば するほど、あなたは もっと 闇の中を 見入ることができるようになる。

闇の中を ある時間、深く見入っているうちに、薄暗い 光が そこに現れ始める、という経験がないだろうか ? 

闇に 神経を集中していると 光を感じ始め、光を見始める。

あなたは 自分を 訓練できる。

 

すると、闇それ自体の中にある 一定量の光が 現れる −−− この世界には、 絶対は 何一つ存在しないからだ。

何一つとして、絶対というものは 存在しない。

すべてが 相対的だ。

 

我々が 闇と呼ぶとき、それは 絶対なる闇ではない。

それは ただ、光が 少ない というだけだ。

もしあなたが 闇の中を見入ることを 実践すれば それが できるようになる。

見なさい ! 

闇に 焦点を当てなさい ! 

 

そうすれば 徐々に、あなたの目は強くなり 

光を 見始めるだろう。

 

内なる闇、 無意識も 同様だ。 それに見入ることだ。

だがそれは、あなたが 行動的でないとき、初めて見える。

 

 

(02)終わり(03)ヘ 続く