saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第18章「意識の光」質疑応答 (01)


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最初の質問 (01)

 質問・・・・・・

OSHO、私たちは「ただ気づきだけで 無意識の深い層を貫き、変容することは難しいし、それだけでは充分ではない」と 感じています。

 気づきを実践する以外に、何か すべきことはないでしょうか ? 

それに関して、気づきの実践的な面について、どうか もっと詳しく説明していただきたいのですが。

 

 

無意識は、 ただ気づきを 通してのみ変容される。

それは 難しい。 だが他に 道はない。

気づきのためには、多くの方法が存在する。

が、 気づきは必要だ。

あなたは 気づきのための方法を 使うことができる。

だが、 気づいていなければならない。

 

もし誰かが 闇を追い出すのに、光以外の ものを使う方法はないか、と 聞いたとする。

だが どんなに難しかろうと、 たったひとつの 方法しかない −−− 闇とは、単に 光がない ということだからだ。

だとすれば、あなたは 光の臨在を 作り出さなければならない。

そうすれば 闇は なくなる。

 

無意識とは、 不在 −−− 意識の不在以外の何ものでもない。

闇は、それ自体 何か積極的なものではない。

だから、あなたには 気づく以外に 何もできない。

もし無意識に、何かそれ自体の 権利があれば 

それは また違ってくる −−− だが、そうではない。

無意識は、何かを 意味しているわけではない。

それは、ただ 意識がない というだけの話だ。

それは、 ただの 不在だ。

 

闇は それ自体 存在しない。

闇そのものが 存在するわけではない。

「無意識」という言葉は、単に 意識の不在を 示しているのであって、それ以外の何ものでもない。

 

我々が「闇」と言うとき、その言葉が 誤解を招く。

「闇」と 言うと、何か 闇が存在するように思えるからだ。

そうではない。

だから 闇に対して、直接 何かを することはできない −−− できるかね ? 

 

あなたは その事実を 観察したことがないかもしれない。

だが、闇に 直接働きかけることは できない。

何であれ 闇に 働きかけたければ 

闇ではなく 光に働きかけねばならない。

 

もし 闇が欲しいとすれば、明かりを 消せばいい。

もし 闇が欲しくなければ、明かりを つければいい。

 

だが、闇に 直接働きかけることは できない。

光を 経由して、闇に 働きかけるしかない。

 

なぜ ? なぜ、 直接 闇に 働きかけられないのか ? 

 

なぜなら、闇は 存在しないからだ。

だから 闇に 触れることはできない。

 

あなたは 光に 働きかけねばならない。

そうすれば、闇に 働きかけたことになる。

 

もし光が そこにあれば、闇はない。

もし光が そこになければ、闇がある。

 

あなたは この部屋に 光を持って来れる。

が、闇を 持ってくることはできない。

あなたは この部屋から 光を持ち出せる。

が、闇を 持ち出すことはできない。

あなたと 闇のあいだには、何の関わりもないからだ。

なぜか ? 

もし闇が 存在するとすれば 

人は どこかで繋がりを持つことが できる。

だが、 闇は 存在しない。

 

言葉は あなたに、闇は存在するかのような 誤った考えを与える。

闇とは、消極的な 言葉使いだ。 それは存在しない。

それは 光が そこにない というだけのこと −−− 

それ以上ではない −−− 

 

それと 同じことが 無意識について言える。

 

 

(01)終わり(02)ヘ 続く