最初の質問 (01)
質問・・・・・・
OSHO、私たちは「ただ気づきだけで 無意識の深い層を貫き、変容することは難しいし、それだけでは充分ではない」と 感じています。
気づきを実践する以外に、何か すべきことはないでしょうか ?
それに関して、気づきの実践的な面について、どうか もっと詳しく説明していただきたいのですが。
無意識は、 ただ気づきを 通してのみ変容される。
それは 難しい。 だが他に 道はない。
気づきのためには、多くの方法が存在する。
が、 気づきは必要だ。
あなたは 気づきのための方法を 使うことができる。
だが、 気づいていなければならない。
もし誰かが 闇を追い出すのに、光以外の ものを使う方法はないか、と 聞いたとする。
だが どんなに難しかろうと、 たったひとつの 方法しかない −−− 闇とは、単に 光がない ということだからだ。
だとすれば、あなたは 光の臨在を 作り出さなければならない。
そうすれば 闇は なくなる。
無意識とは、 不在 −−− 意識の不在以外の何ものでもない。
闇は、それ自体 何か積極的なものではない。
だから、あなたには 気づく以外に 何もできない。
もし無意識に、何かそれ自体の 権利があれば
それは また違ってくる −−− だが、そうではない。
無意識は、何かを 意味しているわけではない。
それは、ただ 意識がない というだけの話だ。
それは、 ただの 不在だ。
闇は それ自体 存在しない。
闇そのものが 存在するわけではない。
「無意識」という言葉は、単に 意識の不在を 示しているのであって、それ以外の何ものでもない。
我々が「闇」と言うとき、その言葉が 誤解を招く。
「闇」と 言うと、何か 闇が存在するように思えるからだ。
そうではない。
だから 闇に対して、直接 何かを することはできない −−− できるかね ?
あなたは その事実を 観察したことがないかもしれない。
だが、闇に 直接働きかけることは できない。
何であれ 闇に 働きかけたければ
闇ではなく 光に働きかけねばならない。
もし 闇が欲しいとすれば、明かりを 消せばいい。
もし 闇が欲しくなければ、明かりを つければいい。
だが、闇に 直接働きかけることは できない。
光を 経由して、闇に 働きかけるしかない。
なぜ ? なぜ、 直接 闇に 働きかけられないのか ?
なぜなら、闇は 存在しないからだ。
だから 闇に 触れることはできない。
あなたは 光に 働きかけねばならない。
そうすれば、闇に 働きかけたことになる。
もし光が そこにあれば、闇はない。
もし光が そこになければ、闇がある。
あなたは この部屋に 光を持って来れる。
が、闇を 持ってくることはできない。
あなたは この部屋から 光を持ち出せる。
が、闇を 持ち出すことはできない。
あなたと 闇のあいだには、何の関わりもないからだ。
なぜか ?
もし闇が 存在するとすれば
人は どこかで繋がりを持つことが できる。
だが、 闇は 存在しない。
言葉は あなたに、闇は存在するかのような 誤った考えを与える。
闇とは、消極的な 言葉使いだ。 それは存在しない。
それは 光が そこにない というだけのこと −−−
それ以上ではない −−−
それと 同じことが 無意識について言える。
(01)終わり(02)ヘ 続く