saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3章「覚醒の炎」by OSHO (14)


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(14)

(…我々が ブッダの方法を学んでいるのと同じように、別の方法、もう一つの方法を 理解するのも良いことだ。)

 

タントラは 意識的になるために、セックスを利用した。

それもまた、もう一つの 非常に生き生きとした 力強いものだ。

もしあなたが 深く入っていきたいなら、とても生き生きとした 力のあるもの・・・あなたの中の 最も深いものを 使うことだ。

 

タントラは セックスを使った。

性行為の中では、 あなたは 創造の中心・・・

まさに 生の根源そのものの ごく近いところにいる。

もし 意識的に 性行為の中に入っていけたら、それは 瞑想になる。

それは とても難しいことだ・・・

呼吸の覚醒よりも さらに難しい。

 

あなたは 短い時間、呼吸を 意識することは できる。

無論、それなら できる。

が、 セックスにおいては、その現象そのものが あなたに 無意識であることを要求する。

 

もし意識的になれば、あなたは 性的欲望を、性欲を失うことになる。

もし意識的になれば、

あなたの内側には 性的欲望は 存在しない。

ゆえに、タントラは 世界で最も難しいことを 行った。

意識への 実験の歴史の中で、タントラは 最も深く入っていった。

が、無論、タントラを使って 自分をだますのは 非常に簡単だ。

あなた以外 誰一人、起こっている事実を 知らないからだ。

ほかの誰一人、知ることは できない。

が、タントラによる 意識の覚醒法で成功できるのは、百人の中の たった 一人だけだ。

セックスは、無意識であることを 要求するからだ。

 

タントラの道を 歩む者、タントラの弟子は、ちょうど呼吸に 働きかけるように、セックスへの欲望に 働きかけねばならない。

彼は それに対し、意識的になる必要がある。

実際、性行為に入る時、彼は 意識的でなければならない。

あなたの身体そのものが、セックスエネルギーが、爆発するために ピークに 達する。

タントラの 探求者は 意識的に そのピークに至る。

 

それを 判定する方法がある。

もし セックスエネルギーが 自動的に解き放たれれば、 あなたは その主人(マスター)ではない。

その時、あなたは セックスに対し 意識的ではない。

その時、 あなたは 無意識に 乗っ取られる。

セックスが ピークに 至る。

その時、あなたは そのエネルギーを解き放つ以外 何もできない。

その放出は、あなたによって ではない。

 

あなたは。 セックスを始めることは できても、終わらすことは 決してできない。

終わりは 常に、無意識に 乗っ取られる。

 

もし ピークに 留まることが できれば、あなたは 主人だ。

セックスエネルギーを 解き放つ、あるいは 解き放たないことが 意識的な行為になるならば・・・

セックスエネルギーを解き放たずに、ピークから戻ることが できれば、 あるいは、そのピークに 何時間も留まることができるなら・・・それが あなたの意識的な行為であるならば、あなたは 主人だ。

 

もし誰かが セックスのピーク、まさにオーガズムの淵に至ることが でき、その状態に留まり、それを 意識していられたら、突如として その人は 内奥の中心に 気づく・・・突然 だ。

その状態は、その人自身が 内奥の中心に気づくだけではなく、また その人のパートナーの中心、最も深い中心にも 気づく。

 

そのため タントラの実践者、もしその人が男性なら いつもパートナーを 礼拝することになる。

パートナーは ただの性的対象ではない。

彼女は 神、彼女は 女神なのだ ! 

 

その行為は、まったく色情的な ものではない。

もし 意識的に その中に 入っていけたら、それは 可能な限り 最も深い 霊的行為だ。

だが 最も深い ということは、当然ながら、事実上は 不可能ということに ならざるを得ない。

そこで、 呼吸か セックスかの どちらかを使うことになる。

 

マハヴィーラは 空腹を 使った。

それも また、実に 深い。

空腹とは、単に味覚や、何か他のものに関わっているのではない・・・それは まさに、あなたが 生き延びるかどうかに 関わっている。

 

マハヴィーラは 空腹や 断食を、気づきのための手法として 使った。 それは 苦行ではない。

マハヴィーラは 苦行者ではなかった。

人々は 彼を完全に 誤解していた。

 

 

(14)終わり(15)へ 続く