saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(13)


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最初の質問

(13)

 

( 知ること それ自体に、セックスの次元がある )

ゆえに、アダムがセックスを、セックスの次元を意識するようになった、というのは ある意味で正しい。

だが、セックスの次元が 意識されるとともに、彼は ほかの多くのことをも 意識するようになった。

その 知ることの拡大、知ることの爆発、その未知なる世界を 突き進んでいくこと、

月や他の惑星へ行くこと、そのすべてが 性的な渇きだ。

 

その性的な渇きは、知る ということへ、はるか彼方へと 進むだろう。

というのも、今やエネルギーが 解き放たれたからだ。

そうなると、エネルギーが新しい形態をとり、新しい冒険に出るだろう。

 

セックスと ともに、セックスを意識すると ともに、アダムは 長い旅にのりだした。

 

そして 我々は その途上にいる。

誰もが その途上にいる。

なぜなら セックスとは、ただ単に あなたの身体の中にだけ あるものではない −−− それは あなた なのだ。

あなたは セックスから生まれた。

そしてセックスがなくなり 尽きることで、あなたは 死ぬ。

 

あなたの誕生は セックスの誕生であり、

あなたの死は セックスの死だ。

ゆえに セックスエネルギーが 尽き果てた と感じる時、 死が近づいていることを 知る。

 

三十五歳が セックスエネルギーの ピークの年齢だ。

その時、セックスエネルギーは ピークにある。

その後、すべてが減退していき、人は老いを、死への途上にあることを 感じ始める。

七十才くらいが 寿命に なるだろう。

 

もし 五十才が セックスエネルギーのピークであれば、百才が 死の年齢になるだろう。

西洋なら、百才という標準の寿命、 平均寿命に すぐにも到達するだろう。

五十才の人々が、少年のように 振舞っているからだ。

それは いいことだ。 社会に活気がある ということだ。

それは 今や、人々の寿命が 延びることを 示している。

 

もし 百才の老人が、プレイボーイのように 振舞うとすれば、その人生は 二百才にまで 延びるだろう。

なぜなら、セックスが 根本の エネルギーだからだ。

 

セックスゆえに あなたは 若く、セックスゆえに 年老いる。

セックスゆえに あなたは 生まれ、セックスゆえに 死ぬ。

 

それだけではない。

ブッダや マハヴィーラや クリシュナ、彼らは「性的欲望のせいで、あなた方は 生まれ変わる」と言う。

 

あなたの現在の身体だけが セックスによって 営まれているのではなく、過去から継続している あなたの身体すべてが、性的欲望で 営まれている。

無論、アダムが 初めて物事を 意識するようになった時、セックスを 意識するようになった。

それは 最も根本的な 事実だ。

 

だが、キリスト教によって 誤って解釈された。

その後、多くのナンセンスが 付き従うように なった。

セックスが悪で罪、原罪と なった理由は、アダムがセックスを意識し、恥ずかしいと 思ったからのようだ。

そうではない。 それは 最初の光だ。

 

彼が 恥ずべきだ と 思ったのは、セックスが悪だから ではない。

恥ずべきだと 思ったのは、セックスが動物的なものだと理解し、「自分は動物ではない」と 思ったからだ。

 

そうだ、セックスは闘われ、切り捨てられるべきだ。なんとかして、セックスのない状態に至ることだ −−− しかし、それは誤った解釈、キリスト教の その物語についての 誤った解釈だ。

 

 

 

(13)終わり(14)へ 続く