saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(14)


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最初の質問

(14)

 

「セックスと闘え ! 」−−− 宗教は、セックスへの ただの闘いになった。

そして、もし宗教がセックスへの闘いなら、宗教は 生への闘いだ。

 

本当は 宗教はセックスと 闘うものではない。

宗教は セックスに反するものではなく、

それを 越えていく努力だ。

 

もしセックスに 反対するなら、セックスと 同じレベルに留まる。

そうなると、決してセックスを 越えることはできない。ゆえに、キリスト教の神秘家、聖人、

彼らは 死の床にあってまで セックスと闘っている。

そのような時には、セックスへの誘惑が内側から湧いてくる。

その瞬間、彼らはセックスに誘惑されている。

が、なにも彼らを誘惑してはいない。

彼ら自身の 抑圧が、セックスへの誘惑への創造主だ。

彼らは まさに 内なるマインドの 拷問のなかに生き、そのマインドの中で、彼ら自身 絶えず闘い続けている。

 

宗教は セックスに反対するものではなく、

セックスを 越えていくものだ。

 

もしセックスを超えたいと 欲するなら、セックスを越える歩みを 踏み出さねばならない。

セックスを越えるために、セックスエネルギーを 利用することだ。

セックスエネルギーと 闘うのではなく、そのエネルギーと ともに進んでいくことだ。

 

今となっては 無視することは不可能だ。

それを もっと深く 知らねばならない。

知ることは、自由だ。 もっと深く知らねばならない。

もし、ますます深く セックスを知るようになると、

セックスについて、 完全に意識が覚醒している状態が訪れる。

そうなれば、 セックスは 消え去る。

 

その完全なる 覚醒状態の中で エネルギーは変容され、異なった形になる。

あなたは 今や、異なる次元の 同じエネルギーを有している。

 

セックスは 水平的なものだ。

あなたの意識が 完全に覚醒したら、

セックスは 垂直的なものになる。

セックスの 垂直の動きが クンダリーニだ。

 

もしセックスが 水平に動けば、あなたは 別の人間を再生し続け、自分自身を 再生し続ける。

もし そのエネルギーが垂直に上昇し始めれば、あなたは ただただ抜け出す −−− 存在の輪廻から。

「生の輪廻から抜け出す」と ブッダが言ったように。

それは 新生だ −−− 新しい 体の中に誕生するのではなく、存在の 新しい次元へと誕生する。

 

それを 仏教徒は 涅槃(ニルヴァーナ)と呼ぶ。

それを 解脱(モクシャ)と 言ってもいい −−− 何とでも言うがいい。

名前などは どうでもいい。

 

 

(14)終わり(15 終回)へ 続く