saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3章「覚醒の炎」by OSHO (06)


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(06)

(人間は 分裂状態にある。

人間は 分裂状態で生まれてくる。

では、どうすればいいのか ? )

 

どうやって そのギャップを作り出さずにいられるか、また どうやって身体の 細胞すべてにそして あなたの 実存の隅から隅まで、意識をもたらせばいいのか ? 

どうやって 意識を もたらせばいいのか ? 

 

それが 唯一の問題だ・・・あらゆる宗教、あらゆるヨーガ、光明を得るための 全てのシステムにとって。

何ひとつ 無意識がない状態に至るのに、どうやって あなたの全存在に 意識をもたらすか・・・。

そのために 多くの方法が試された。

多くの方法が 可能だ。

そこで、どうしたら身体のあらゆる細胞が意識的になるか、ある方法を話そう。

 

あなたの全体が 意識的にならない限り、至福の内に いることはできない。

平和の内に あることはできない。

あなたは ずっと精神病院にいるままだろう。

身体の細胞 各々が、あなたに影響を与える。

細胞には独自の 働きがあるし、独自の知識があるし、独自の 条件付けが ある。

 

あることを始める瞬間、細胞が それを引き継ぎ、それ独自の やり方で振舞い始める。

すると、あなたは かき乱されてしまう。

「何が起こっているんだ !」。あなたは不思議に思う。

「こんなつもりじゃなかったのに、 そんなことは一度も考えたことがなかったのに」というようにだ。

あなたは正しい。あなたの望みは、事のなりゆきとは まったく違っていたかもしれない。

が、一度、自分の細胞に 何かをするように 司令を出すと、細胞は細胞独自のあり方で、細胞独自の学んだ やり方で それをやり続ける。

 

そのために、科学者たちは・・・特にロシアの科学者たちは

「細胞を変えない限り、 人間は変えられない」と 考えるようになった。

 

ブッダは 人間を変えられなかった。

エスは 人間を変えられなかった。

彼らが人間を変えられなかったのは当然だ」と 考えている心理学者たちのための、行動主義の学校が存在する。

それは 何もおかしくはない。

人間の身体の構造そのものを変えず、身体の化学的な構造そのものを変えないなら、何も変わらないからだ。

 

これらの行動主義者・・・ワトソン、パブロフ、スキナーは「もしブッダが平静であるなら、それは何らかの理由で、ブッダが普通の人間とは違う化学的構造の身体だったということだ。  それ以外ではあり得ない。

もし彼が 静かであるなら、もし平和が 彼を取り巻いていたら、もし彼が 一度として動揺したことがなく、怒ったことがなければ、それは何らかの理由で精神の動揺を生み出す体内物質が、ブッダには欠けていたということだ」と 言う。

スキナー曰く「早晩、我々はブッダを化学的に生み出せるようになるだろう。

どんな瞑想の必要もない。

より意識的になる必要はない。

必要なのは、体内の化学物質を 変えることだけだ」

 

ある意味で 彼は正しい。

だが その正しさは、実に危険をはらんでいる。

もし、ある化学物質が 体内に投与されたら、あなたの行動は 変わるだろう。

もし あるホルモンが 投与されたら、あなたの行動は 変わるだろう。

あなたは男性で、男性らしく振舞うが、男らしく振る舞っているのは あなたではない。

男らしく振る舞っているのは、あなたの中の ホルモンに過ぎない。

 

もしそれらのホルモンが 変えられ、女性用のホルモンを 体内に取り込めば、あなたは女性のように振舞うだろう。

それなら、本当は あなた自身の振舞いではない。

それは ホルモンによる振舞いだ。

 

怒っているのは あなたではなく、体内のホルモンが、あなたを 怒らせている。

静かで、瞑想的なのは あなたではない。

それは、体内のホルモンが そうさせているのだ。

 

スキナーは こう言う。

「だからブッダは 失敗した。

何故なら、彼は無関係なことを 延々と話し続けていたからだ。

あなたが誰かに『怒ってはいけない』と言う。

だが その人の体内には、怒りを生じさせる化学物質、ホルモンが一杯になっているのだ」と。

だから、行動主義者からすると、それは ちょうど ある人が たいへんな熱を出しているのに、その人に向かって「平静でありなさい。瞑想しなさい。

発熱してはならない !」と 言うようなものだ。

それは 馬鹿げている・・・その人に 何ができるというのか ! 

あなたが その人の体内の何かを 変えない限り、熱は そのまま続く。

熱は あるウィルスによって、ある化学物質によって生み出される。

それが変わらない限り、その化学物質の割合が 変わらない限り、熱は下がらない。

話す必要などない。 それは 全く馬鹿げている。

 

怒りにしても、スキナーや パブロフには同じことだ。

セックスについても同じだ。

「あなたは 性超越(ブラフマチャリア)・・・禁欲・・・について延々と話し続ける。

一方、身体は セックスエネルギー、セックス細胞で一杯になる。

そのセックスエネルギーは あなたに依存していない。

むしろ、あなたが そのエネルギーに依存している。

なのに、あなたは ブラフマチャリアについて延々と喋り続ける。

だが、そういう話を いくらしようと、何も起こり得ない」と。

それらは ある意味で正しい。

しかしながら、ある意味でだけのことだ。

もし体内の化学物質が変えられ、セックスホルモン全てが 体内から取り除かれたら、性的には なれないだろう。

その意味において、彼らは正しい。

が、たとえ そうしても、あなたは ブッダにはならないだろう。

ただ 不能になり、何もできなくなるだけだ。

あなたは 何かを 欠いている。

ブッダは 何ひとつ欠いていない。

むしろ その反対に、何か新しいものが 彼の生の中に入ってきた。

ブッダの体内に セックスホルモンがない ということではない。

それらは そこにある。

 

では、ブッダの体内で 何が起こったのか ? 

 

それは 彼の意識が 深まり、その意識が セックス細胞の中にまで 浸透したということだ。

そうなると、セックス細胞が あったとしても、ブッダの意志に反して、独立した行動はできない。

中枢が 行動するようにと命令しなければ、それらは活動できない。

命令しなければ、それらの細胞は 活動できない状態のままだ。

 

不能の人には セックスは存在しない。

ブッダに おいては、それらの細胞は そこに存在し、普通の人間よりもっと力強い・・・というのも、決して使われず、エネルギーが 残されているので、もっと力強いのだ。

エネルギーは細胞の中に蓄積され、それらの細胞は エネルギーで沸き立っている。

が、今や、意識が その細胞の中に浸透している。

意識が 出発点というだけではなく、意識が 主人(マスター)になった。

 

将来、スキナーの説が 世界に広まるかもしれない。

彼の発言が、大きな勢力になるかもしれない。

ちょうど マルクスが 突然、外側の経済社会で 大きな勢力となったように。

 

ちょうどマルクスのように、ある日、パブロフや スキナーが、人間の身体、人間のマインドの 内なる経済にとって、まさに中心的な力になるかもしれない。

 

 

(06)終わり(07)へ 続く