saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第3章「覚醒の炎」by OSHO (07)


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(07)

(ちょうどマルクスのように、ある日、パブロフや スキナーが、人間の身体、人間のマインドの 内なる経済にとって、まさに中心的な力になるかもしれない。)

 

彼らには、自分たちが言ったこと全てが 正しいと証明できる・・・彼らには それができる ! 

だが 二つの側面がある。

あなたが 電球を見るとする。

もし それを壊せば、明かりは 消え去る。

が、電気が消え去った わけではない。

その同じことが、電流を止めたときに起こる。

電球には 手はつけられていなくても、再び明かりは消え去る。

というように、明かりは 二通りの消し方で消せる。

もし電球を壊してしまえば、電気があっても、それを表現する媒体が ないので、その電気は 明かりになれない。

 

それと同じで、もしあなたの セックス細胞が破壊されれば、性欲が あなたの中にあっても、表現する媒体がない ということだ。

それが 一つのあり方だ。

 

スキナーは 多くの動物で実験した。

ただその体内にある腺を 手術することで、凶暴な犬が ブッダのようになる。

犬は 静かに座り、あたかも瞑想しているようになる。

その犬を けしかけて、再び凶暴にさせることはできない。

何をしようと、犬は 何ひとつ怒りの感情なく、あなたを見るだろう。

だが、それは犬が ブッダになったわけではないし、犬の内側のマインドが 消え去ったわけでもない。

それは全て、前と同じようにある。

だが、怒りを表現できる媒体がない。

それが 不能者だ。

媒体は消え去っても、性欲は 消えてはいない。

もし表現する媒体が破壊されてしまい、電球が そこになければ、あなたはその人に

「あなたの明かりは どこにいってしまったのですか ?

あなたの電気は どこにいってしまったのですか ?」と言える。

それはある。 だが、今や、 隠されているのだ。

 

宗教は 別の角度から 働きかけ続けてきた・・・

電球を壊そうとするのではなくだ。

それは馬鹿げている。 何故なら、もしその電球を壊したら、背後に流れている電流の存在に、気づきさえしないからだ。

その流れを 変えることだ。 流れを 変容する。

流れを 新しい次元へと向かわせる。

すると、 電球は そのままそこにあり、生きていて、しかも光ってはいない という状態になる。

私が「スキナーの説は世界に広まる」と 言ったのは、彼が 実に簡単な方法を世に示したからだ。

 

あなたが 怒りを感じているとする。

それを 消すために、あなたは手術を 受けることができる。

あなたが 性的欲望を 感じているとする。

それを消すための 手術を受けられる。

 

それでは、あなたの問題が あなたではなく外科医によって・・・誰か 他の者によって解決されることになる。

そして、問題が 他の誰かに 解決されたら、 あなたは 実に大いなる機会を 取り逃がすことになる。

 

(07)終わり(08)へ 続く