saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「第14章」二番目の質問・・・(02)

二番目の質問 (02)

 

(…真正な体験と、投影された体験の 両方において 

それが起こる以前には 努力が必要だ。

真正な体験の場合、それが 起こった後は 努力は必要ない。

が、投影された体験の場合、継続した努力が 必要になる )

あなたは 努力し続けなければならない。

 

それは ちょうど映画館のようだ。

スクリーンを 満たすために 投影機が 絶え間なく回り続けている。

もし 一瞬でも、フィルムが おかしくなったり、投影機が 止まってしまったら、画面全体は 消え去る。

夢の全体が 消え去ってしまう。

そして、そこには ただ何もないスクリーンだけで 他に何もない という状態になる。

それと同じで、あなたは 絶えず、投影機を 回し続けねばならない。

 

そこに スクリーンはないが、違う世界が存在している。

それと同じで、もしあなたが、マインドを 絶えず投影機として働かせ続けねば ならないとしたら、あるいは、「自分は神だ、あらゆるものが神だ、至るところ 神だ」と絶えず 想起し続けねば ならないなら、間断なく 絶えず投影し続けることになる。

もし そこにギャップがあれば、すべてが消え去る。

そういうことなら、それは 投影だ。

それは 真正な 体験ではない。 本物ではない。

 

もし 絶え間ざる 努力が必要なければ、それは 真正だ。

それは 本当のことだ。

あなたは それを忘れることができる。

 

そして、あなたが神を 忘れることができる日、そのとき、初めてあなたは悟りを開く。

 

もしあなたが、まだ神を 想起せねばならないとしたら それは 一種の投影だ。

 

あなたが瞑想を 止めることができる日、瞑想しようがしまいが そこに変わりはない、同じことだ となったとき、それは真正なものになる。

 

もしあなたが瞑想を止め、祈りを止め、努力を止めると 全てが変わってしまい、何かが 足りないように感じるなら、それは一種の投影であり、投影された感覚だ。

それは 一種の中毒だ。

ある人は 麻薬中毒で、あなたは 祈り中毒だ −−− 

何も違いはない。

 

 

(02)終わり(03)へ 続く