saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「第14章」二番目の質問・・・(01)

 

二番目の質問 (01)

 OSHO、人は どうすれば、投影された体験と真正な感覚を区別できますか ? 

 

 

 それは 難しい。

よく 考えねばならない。

だから 難しいのだ。

たとえば、あなたが 本当の火に 触れているのか、あるいは 想像上の火に 触れているのか、どうやって 感じ分けられるだろう ? 

 

もし本当の火に 触れたことが なければ、それを想像すること、理論的に区別することは とても難しい。

 

もしあなたが、本当の火に 触れたことがあるなら そんなに 難しくはない。

あなたは その感覚を 知っている。

投影された経験とは、ただの 夢の中の経験でしかない。

 

だが、我々には あることを考えることができる。

もし 何かを投影すれば、あなたは それを 投影し続けることになる。

そうしないと 消え去ってしまう。

 

たとえば、私が 神を 投影したとする。

そして私が「私は 木の中に神を見る。私は 大空の中に神を見る。私は 至るところに神を見る」と 言ったとする。

もし それが投影された経験、ただ自分の投影、自分の思考を その物事に押しつけた現象であり、はっきり知ったこと ではなく、ただの観念、物事に押しつけられた理論だとする。

 

あるいは、木を神として 見ることができる と 投影しているのなら、その投影を ずっと続けざるを得ない。

もし 自分が その投影を繰り返すことを止めれば、もし 一瞬でも投影し続けることを 忘れれば、神は消え去り、ただの木があるだけになる。

投影された経験なら、絶えず そのために 何かを する必要がある。

あなたは その投影を 放っておけないし、休むことも できない。

 

いわゆる聖人たちは、休みをとるわけには いかない。

彼らは絶えず 何かをしている。

彼らは 昼も夜も、何かを やり続けている。

もしあなたが 一瞬でも彼らの努力を 止めれば 

彼らの 投影された体験は 消え去ってしまうだろう。

 

ある友人が、スーフィーの神秘家を 私の所に連れて来た。

彼は 年老いていた。

彼は 三十年間、あらゆる物事の中に 神を体験し続けている と言った。

そして、それは本当に そう思えた。

本当に そう 見えたのだ ! 

彼は まったく恍惚として踊り 彼の目は、ある未知の体験で 輝いていた。

そこで 私は その男、 その神秘家に聞いた。

「三十年間、神を体験し続けて いらっしゃるそうですが、それでも まだ、何か努力しなければ、神を 体験し続けられないのですか ?」

すると 彼は言った。

「ええ、絶えず想起し続けなければなりません。 絶え間なく、神を想起し続けなければならないのです。

もし忘れてしまうと、全てが消え去ります」

そこで彼は 彼に、三日間 全ての努力を止め、私と 一緒にいるように言った。

そして彼は 一日だけ 私と一緒にいた。

 

次の朝、彼は 言った。

「あなたは 私に 何をなさったのかね ?

あなたは全てを 壊してしまった !

私の三十年間の努力を、あなたは 全て 台なしにしてしまったのですよ !」

彼は すすり泣き始めた。

未知なる何かで輝いていた その同じ目が、今や 醜くなっていた。

三十年間の 努力 −−− そして、彼は 言った。

「どうしてまた、何とひどい時に あなたの所に やって来たもんだ。

あなたは何をなさったのですか ?

なぜ、 私に 三日間、想起を止めるように おっしゃったのですか ?

そうなれば、どうやって再びそのスペースに 入ればいいのですか ?」

 

それが投影された体験だ。

そこで 私は彼に言った。

「もう二度と そのスペースに 入らないほうがいい。

あなたは 三十年間も、夢に 時間を浪費し続けてきたのですよ。

そうやって三十生も 無駄にしていい。 しかし、そこから何を得たというのですか ? 」

真正な体験は 努力を必要としない。

あなたは それを 維持する必要はない。

それが 起こるときは、起こる。

そうすれば、あなたは 全てを忘れてもいい。

あなたは それを維持しなくていい。

常に 維持しなければ ということはない。

それは あり続ける。

あなたは それを忘れる −−− が、それは ある。

あなたは それを見ない −−− が、それは そこに ある。

あなたは 眠る −−− が、それはそこにある。

 

そうなると、木は もう再び 木ではあり得ない。

それは 二度と再び、ただの木では 決してあり得ない。

私が 想起しようとしまいと、それは 神として ある。

 

そこで、一つ 言いたいことは、それが 起こる以前には 努力がいる ということだ。

 

覚えておきなさい。

それが起こる以前には 努力が必要だ。

 

真正な体験と、投影された体験の 両方において 

それが起こる以前には 努力が必要だ。

真正な体験の場合、それが 起こった後は 努力は必要ない。

が、投影された体験の場合、継続した努力が 必要になる。

あなたは 努力し続けなければならない。

 

 

 

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