二番目の質問 (04)
( 人間 ? それは一種の投影だ。
あなたは 人間を 神聖なもの と考えていた。
そして今や、それを感じるようになる。
真正な悟りは、そういうものとは まったく違う。
あなたは 世界が何であるのか知らない )
あなたは、それが神聖かそうでないかとは言わない。
あなたは「私は知らない」と 言う。
それが真の、 本物の探求者が 探求し始める あり方だ。
彼は 言う、「私は知らない」と。
偽りの、投影された考えは 常にこう言う。
「私は知っている ! 世界は神聖だ。 至る所に 神は いらっしゃる」と。
だが、真の探求者は「私は 知らない。 私は 木を知っている。 私は 石を知っている −−− が、存在の中身 を 知らない。 私は 無知だ」と 言うだろう。
その感覚は あなたに、奥ゆかしさ、深い謙虚さを 与える。
そして 何も知らなければ 投影はできない −−−
今や あなたは、どんな思考にも協力していないからだ。
全ての思考を 落としなさい。
「私は知らない」と 言いなさい。
全ての思考を 落としなさい。
知識に しがみついてはならない。
徐々に、あなたと 世界のあいだには
思考があるべきでないことに 気づいていくだろう。
それが 瞑想の何たるかだ −−− 無思考の関係性。
あなたは ここにいる。
そして私は 無思考で、何の偏見もなく、何のイメージもなく、あなたと私のあいだに 何もない状態で あなたを見る。
あなたは そこに、私は ここにいる。
そして、そこには スペースが ある −−−
満たされていない、空っぽの。
もし、そういうことが あなたと世界のあいだに起これば、その全面性において、その真実性において、その真髄において、世界は あなたに正体を明かす。
その時、あなたは 実在するものを知る。
それが神だ。
が、それは もはや一つの思考ではない。
思考は、そこに まったく存在しない。
あなたは 謙虚で、空っぽで、静かだ。
それは 一種の 開示であり、投影ではない。
瞑想的なマインドは、無思考の状態に到達する。
そうして初めて 開示が可能になる。
さもなければ、あなたは延々と 投影し続けていく。
ずっと 投影し続けることになる。
思考は そうならざるを得ない −−−
思考は 投影するだろう。
だから、瞑想の中に 深く入って行くことだ。
そして、思考なき 事実とともに留まりなさい。
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