saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「第14章」二番目の質問・・・(04)

二番目の質問 (04)

 

( 人間 ?  それは一種の投影だ。

あなたは 人間を 神聖なもの と考えていた。

そして今や、それを感じるようになる。

真正な悟りは、そういうものとは まったく違う。

あなたは 世界が何であるのか知らない )

あなたは、それが神聖かそうでないかとは言わない。

あなたは「私は知らない」と 言う。

それが真の、 本物の探求者が 探求し始める あり方だ。

彼は 言う、「私は知らない」と。

 

偽りの、投影された考えは 常にこう言う。

「私は知っている !  世界は神聖だ。 至る所に 神は いらっしゃる」と。

 

だが、真の探求者は「私は 知らない。 私は 木を知っている。 私は 石を知っている −−− が、存在の中身 を 知らない。 私は 無知だ」と 言うだろう。

その感覚は あなたに、奥ゆかしさ、深い謙虚さを 与える。

 

そして 何も知らなければ 投影はできない −−− 

今や あなたは、どんな思考にも協力していないからだ。

 

全ての思考を 落としなさい。

「私は知らない」と 言いなさい。

全ての思考を 落としなさい。

知識に しがみついてはならない。

徐々に、あなたと 世界のあいだには 

思考があるべきでないことに 気づいていくだろう。

それが 瞑想の何たるかだ −−− 無思考の関係性。

あなたは ここにいる。

そして私は 無思考で、何の偏見もなく、何のイメージもなく、あなたと私のあいだに 何もない状態で あなたを見る。

あなたは そこに、私は ここにいる。

そして、そこには スペースが ある −−− 

満たされていない、空っぽの。

 

もし、そういうことが あなたと世界のあいだに起これば、その全面性において、その真実性において、その真髄において、世界は あなたに正体を明かす。

その時、あなたは 実在するものを知る。

それが神だ。

が、それは もはや一つの思考ではない。

思考は、そこに まったく存在しない。

あなたは 謙虚で、空っぽで、静かだ。

それは 一種の 開示であり、投影ではない。

瞑想的なマインドは、無思考の状態に到達する。

そうして初めて 開示が可能になる。

さもなければ、あなたは延々と 投影し続けていく。

ずっと 投影し続けることになる。

思考は そうならざるを得ない −−− 

思考は 投影するだろう。

 

だから、瞑想の中に 深く入って行くことだ。

そして、思考なき 事実とともに留まりなさい。

 

 

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