saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「第14章」二番目の質問・・・(05)

二番目の質問 (05)

 

(だから、瞑想の中に 深く入って行くことだ。

そして、思考なき 事実とともに留まりなさい)

考えることなく 木の下に座り、マインドの中に 想いのない状態で、先入観なしで その木を見なさい。

その木を そこにあらしめ、あなたの 意識を通して 直面することだ。

一枚の鏡で ありなさい −−− 静かで、思考の波のない状態、そして、あなたの その意識の中に木を写し出す。

 

すると 木が、決して 木として存在していなかった と 知るだろう。

それは ただの現れ、上辺、仮面だった。

それは 神聖であった。

木は、ただ服を着ていた。

今、あなたは その中身を知った。

それを 覚えている必要はない ! 

いつであれ、あなたが 瞑想状態に入っていったとき 

神は そこに いるだろう。

聖なるものは そこにあるだろう。

 

私は それを次のように言いたい。

神は 対象物ではない。

対象物として、神を どこかに見い出すことはできない。

それは マインドの状態だ。

あなたが その状態のマインドを持てば 

それは 至るところに存在する。

もしあなたが その状態のマインドを 持っていないとすると、偽物、考えている状態を 作り出せる。

だが その状態は、絶えず維持されなければならない −−− 

だがあなたは、何かを絶えず 維持し続けられない。

だからあなたは、聖人たちが すすり泣き、後悔し、罪を 犯したと感じているのを見かける。

彼らは、絶え間なく 神を見出し続ける状態を 保てなかった。

どうやって、そんなマインドの状態を 保っていられるだろう ? 

 

もしあなたが 何かを維持しているなら、リラックスしていなければならない。

どんな努力であれ、リラックスした状態で なされていなければならない。

 

もし、木は 木でなく神なのだ、と 絶えず想起していようとすれば、ある一定の期間を過ぎると、余りにもマインドを緊張させ過ぎて 休みが必要になるだろう。

そして あなたが休んでいる間に、木はただの木になってしまう。 すると神は 消え失せる。

そして、また あなたは 神を想起しようと試みる。

延々と やり続ける。

努力すれば、必ず リラクゼーションが やって来る。 それは 付いてくる。

努力することで、あなたは 何でもできる。

だが、それが あなたの本性にはならない。

あなたは 何度も何度も、それを 失い続けるだろう。

だから もし、 あなたが ある感覚を 失い続ける と すれば、それは 投影なのだと 知りなさい。

その感覚を 失うことがなければ、やりたいことであろうが、やりたくないことであろうが、何でもすることだ。

何であろうと、 あなたなのだ −−− 

 

 

 

(05)終わり(06)へ 続く