saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 15)


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『人間は神に何を捧げられるか ?』(15)

 

一人の画家が、その木の脇に 立っている。

彼にとっては、その木は 緑に見える。

画家が 一本の木を見る時、その木は ただの緑ではないことを、あなた方は知っているだろうかと、私は思う。

緑には、何千ものタイプがあるからだ。

普通、あなたが木を見ると、全ての木が緑に見える。

しかし、二つとして 同じ緑は存在しない。

 

二つの緑は 二つの色だ。

全ての緑に、それ独自の 緑がある。

だから 画家にとっては、単純な緑ではない。

それは、A緑、B緑、C緑だ −−−

多様な色合い、多様な 個性が ある。

 

悲しみのなかにある恋人、最愛の人を亡くした恋人は

まったく木を見ないかもしれない −−− 

その緑は とても悲しく見え、本来の色合い、風合いとは 違うように見えるだろう。

彼には、その木の膚合いを 感じられない。

また感じたとしても、それは木の膚合いではなく、恋人の身体の 感触を思い起こさせるものとなるだろう。

 

そして一人の子供が そこで遊び、老人が そこで死んでいく −−− 彼らは一つの実体を 見ているのだろうか ? 

 

彼らの感じ方には 差異がある。

それぞれ 異なる木が そこに成長し

異なる木が 存在している。

それなら、シャンカラが 木を 全然見ないで “それ” だけを見る、ということは不可能ではないだろう ? 

木の膚合いではなく、木の緑ではなく、恋人達の悲しみではなく、子供の遊びではなく、死んでいく男の悲哀でもなく −−− 何かを ? 

木を全然見ないで “それ” だけを 見ることが

シャンカラにできないことではないだろう。

すると、木は透明になってしまう。

 

新しい見解では

木は消え去り、ブラフマンが 顕になる。

そのことが、私が「見なさい、見い出しなさい、あらゆるところで “それ” に徹するのだ」という意味だ。

そして、あなたが あらゆるところで “それ” を感じ始める時、あなたのマインドは 動けなくなる −−− 

相対するものが 存在しなくなったからだ。

すると、捧げるということが起こる −−− その時初めて ! 

あなたは 存在し、与えたことになる。

 

あなたは、あなた自身を 与えることはできない。

自分自身の マインド しか 与えられない。

あなたは マインド を 取り去ることができる。

あなたは “それ” の 内に ある。

だが、マインドは そうではない。

マインドが  “それ” の 内に あることは できない ! 

 

あなたは 自由だ。

選択は あなた に任されている。

それは あなた の 責任であり、誰の責任でもない。

責任は あなた に かかっている。

だから 宗教的で あろうとなかろうと

それは あなた の 決断による。

 

だから、いらないことに 首を突っ込まないこと −−− 神が 存在するか否か というような。

それは あなた が 決めることだ ! 

 

神が いるか否かを 議論し続けるのは、無意味だ。

それは あなた の選択だ。

神は 存在しない と言うことはできる。

だが そう言うことで、あなたは より大いなる真実を 否定し、また、その方向に向かって 扉を開く ことになる。

神は 存在する と 言うこともできる。

そして そう言うことで、より大いなる真実に向かって 扉を開くことになる。

それは実証できない −−− 神が いるかいないかは。

それは、科学的な事実として 実証できない。

というのも、もし それが実証されれば

自由が なくなるだろうから。

すると、捧げることが できなくなる。

 

もし そのことが、他のものと 一緒で、世俗的な 一つの事実となれば −−− 

月や太陽や 地球のような、一つの事実に なれば −−− 

一つの常識、客観的事実と なってしまえば、あなたには 選択する自由が なくなってしまう。

だから 神は、科学的な事実には 決してならない。

神が いるか 否かは、実証されない。

少なくとも、次のことだけは言える。

もしあなたが 神を選択すれば、あなたは 別人になる。

もしあなたが 神を選択しなければ、またしても

あなたは 別人になるだろう。

もし あなたが 神を選択しなければ

自分自身に対して地獄を作り出す。

もし あなたが 神を 選択すれば

エクスタティックな存在を 作り出せるだろう。

 

彼 は 問題ではない。

事の顛末は、あなたの 選択の結果だ。

神がいる、いない、と 考えることは無意味だ。

それは 議論にすら 値しない。

根本的で 意味のあることは、どちらかを選択することで、あなたが違う人間になる ということだ。

選択しないことで、再び

あなたが 違う人間になる ということだ。

そして それは、あなた次第だ ! 

 

 

(15)終わり(16)ヘ 続く