saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

2022-12-20から1日間の記事一覧

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 15)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(15) 一人の画家が、その木の脇に 立っている。 彼にとっては、その木は 緑に見える。 画家が 一本の木を見る時、その木は ただの緑ではないことを、あなた方は知っているだろうかと、私は思う。 緑には、何千ものタイプが…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 14)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(14) ウパニシャッド 曰く 『この世界を通して、あらゆる ものごとを通して、あなたのマインドを “それ” ヘ 捧げなさい』 いかなる障害も 作り出しては ならない。 相対するものを 作り出しては ならない。 それが何であろ…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 13)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(13) (…自らが課した拷問を 楽しみはじめるなら、その人は 正気ではない、狂っている ということだ。 もう、彼は まともではない ) あなたは、自分自身の愚かさの 殉教者にもなり得る。 あなたは 他の人達から崇められるこ…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 12)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(12) この経文 曰く 『マインドが絶えず “それ” ヘと向かっていること、それが捧げものだ』 マインドは 絶えず継続して、隙間なく “それ” に向かって 流れていなければならない。 あなたが世間から 神を引き離しているのに…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 11)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(11) ( 宗教は、相対するもののない世界だ ) だが、宗教は 両極に 分かたれている。 我々が 宗教を見るとき、それは 分かたれている。 というのも、まさに その 見ることそのものが 宗教を 分裂させてしまうからだ。 それは…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 10)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(10) ( 老子曰く 「天と地の間を 一寸 分けることが、全てを 分かつ。 善と悪の間を 一寸 分けることが全てを 分かつ」 何一つ、区別すべきではない ) 宗教は 道徳ではない。 宗教は道徳を 超えている。 道徳は 区別なくし…

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 09)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(09) (…クリシュナは どこにいても くつろいでいられる。 たとえ地獄にいても、彼は そこで踊っていられる。 というのも、地獄でさえ 彼にとっては “それ” だからだ ) 私は、ジャイナ教徒はクリシュナを 地獄に送り込んだ …