saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 11)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(11)

 

( 宗教は、相対するもののない世界だ )

だが、宗教は 両極に 分かたれている。

我々が 宗教を見るとき、それは 分かたれている。

というのも、まさに その 見ることそのものが

宗教を 分裂させてしまうからだ。

それはちょうど、光線、太陽光線が

プリズムを通して 分かたれるようなものだ。

マインドが事物を 見るとき、その事物は 対極に分かたれる。

我々が見た 瞬間、それらを 分けてしまう。

我々は 一瞬間でも、事実を 分けずにはいられない。

私が あなた方を 見る。

すると、私は あなた方を分けてしまう。

美醜、白黒、自分の弟子、弟子でない者。

私が あなた方を見た瞬間、区別が入ってしまう。

マインドは 一種のプリズムの働きをし

プリズムは 真実を分裂させる。

もしあなたが 選択し続ければ

あなたは 自分のマインドの 犠牲者になる。

 

善と悪とは マインドによって 分別される。

だから 悪に対して、善を 選んではいけない。

さもないと、あなたは 最終的に

善に反して 悪の内に 落ちていくだろう。

そうではなく、悪を通して 善を選ぶのだ。

善を通じて 悪を知るのだ。 それらは 一つのものだ。

その 無分裂状態の 一体性を 感じることだ。

死を通して 生を見なさい。

生を通して 死を見るのだ。

相対するものとしてでなく、一つのものとして −−− 一つの現象の 両極として。

“それ” という言葉が 意味するのは、そういうことだ。

 

この経文 曰く

『マインドが絶えず “それ” ヘと向かっていること、それが捧げものだ』

 

(11)終わり(12)ヘ 続く