saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第17章「意識の完全なる開花に向かって」(13)

(13)

( 無意識には、二つの部分がある。

一つは 生物的なもの、もう一つは 社会的なものだ )

 

本能があり、社会的なタブーが ある。

社会は あなたの無意識に、多くのものを 入れ込んできた。

彼らは それを「良識」と言う。

あることは 悪で、あることは 善になる。

社会は あなたの無意識に 

それらの 価値判断を 押し込んできた。

 

だから子供は、七才に なる前に、何らかの道徳観念を 植え付けられた場合にのみ、うまく教え込める。

七才を 過ぎれば、道徳を教えても駄目だ。

 

だから、あらゆる宗教が 子供に大変な関心を寄せるのだ。

そして、あらゆる宗教が 教育機関を持っている。

親を 通して、家族を通して、それらの宗教は、子供のマインドに 条件付けをしていく −−− マインドが まったく無意識のときに。

マインドの 一部分でさえ意識的になっていない時だから、そこには 抵抗がない。

 

何であれ、子供に対して 言ったことは 

子供の 無意識のなかに深く 入って行く。

そこには 抵抗がない。

一度 成長してしまえば、無意識の中にまで 深く入って行くのは 難しい。

 

だから、何であれ 最初の七年間に学んだことが 素地になる。

だとすれば、本当に 社会に逆らうことは あなたには できないだろう。

 

人生で 何をするにせよ、たとえあなたが訓練を受け、良識を与えられた社会に 逆らっていると してもだ。

 

たとえ社会に 逆らっていても、あなたは 無意識の中に 入れ込まれた教えの通りに 従うだろう。

たとえ あることに反逆しても、依然として 

無意識にある 良心に 捕らわれたままだろう。

もし人類が、宗教的信条から 助け出されるべきだ とすれば、宗教的信条を 子供たちに教え込むのは、犯罪だと すべきだ。

どんな信条も、教義も、狂信的な信仰も、子供たちに 教えてはならない −−− そんなものを 教えることはない ! 

 

まず子供たちを 成長させなさい。

そして彼らが 大人になった時、その時 初めて −−− 

だが、それは 難しい。

その時には、意識的なマインドが 現れる。

その時には 彼らの 意識的なマインドが選択し、考え出す。

 

一つの部分は 生物的、遺伝的なもので 

もう一つの部分は 社会的なものだ。

 

 

(13)終わり(14)ヘ 続く