saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術」by OSHO,(02) 翻訳 : スワミ.ボーディ.イシュワラ

「無意識との出会い」(02)

(…意識には、そういった変化が 絶えず起こっている)

 

だから私が 意識と無意識と言う時  何か決まった境界がある、というわけではない。

そこには何もない。 決まった境界はない。

それは 変動する現象だ。

もっと意識的でなくなるか、もっと意識的になるかは あなた次第だ。

あなたは 意識を作り出せる。

自分自身に規律を課し、訓練して もっと意識的になることもできるし、もっと意識的でなくなるようにもできる。

あなたがもっと 意識的でなくなるように訓練すれば 絶対に 無意識と遭遇できないだろう。

実際、あなたは 意識と遭遇することさえ できなくなるだろう。

 

何か 酔うようなものを飲んだ時、人は自分のマインドが 完全に無意識であるように訓練している。

眠りに入る時、あるいは催眠術にかかっている時、あるいは自己催眠にかかっている時、あなたは 意識を失う。

そこには多くのトリックがある。

あなたをより無意識にするのを助ける多くのトリックは、宗教の修行として知られてさえいる。

もし、何か単調な反復的なことをすれば、たとえば、「ラム、 ラム、 ラム」と唱え続ければ、まさに その単調なリズムにおいて、より意識的でなくなる。

そして単調なリズムでの 絶え間ない「ラム、 ラム、 ラム」という反復は、ちょうど自己催眠のようになる。

あなたは 眠ってしまうだろう。

それは眠るにはいい。

もし単調性を作り出すと、より意識的でなくなる。

退屈しているマインドは、意識的でいられないからだ。

 

退屈は とても悪い状態だ。

そういう状態では、マインドは 眠ってしまう。

どうやって赤ん坊を眠らせるか、我々は承知している。

全ての母親が 知っている。

子守唄は、退屈さを作り出すため以外の何物でもない。

全ての母親が、どうやって赤ん坊を眠らせるかを知っている。

子守唄 −−− ある一つの言葉の 絶え間ない繰り返し −−− 赤ん坊は退屈する、そして眠ってしまう。

この子守唄は、動きによって、また単調なことなら何からでも作り出せる −−− どんなことでも !

ただ 単調に 赤ん坊を動かす、あるいは赤ん坊を単調に 揺り動かせばいい。

すると、赤ん坊は 退屈して眠ってしまう。

たとえば、赤ん坊の頭を あなた方の心臓に近づけるだけでも 赤ん坊は眠ってしまう。

心臓の鼓動は とても退屈だ。

だから心臓の近くに赤ん坊の頭を置くと、赤ん坊は 心臓の鼓動の相も変わらない繰り返しに、退屈する。

赤ん坊は その音をとても良く知っている。

九ヶ月もの間、ずっとその音を聞き続けていたのだから。

老人でさえも、眠るために「チック、 タック」という時計の音を使っている。

それは、その音が 心臓の鼓動にただ似ているからだ。

だからもし、眠れそうにないと感じたら、ただ、自分の時計に神経を集中し リズムを感じていれば、すぐに眠ってしまうだろう。

そのように、退屈を生み出せば 無意識を作り出せる。

また、アルコールを飲んだり、ドラッグを摂取したり、鎮静作用のあるものや鎮静剤を摂取すれば、無意識を 生み出せる。

意識もまた作り出せるが、それには まったく異なる方法が使われなければならない。

 

スーフィーの神秘家達は 旋回舞踏を使った。

とても激しく旋回していたら、眠ることはできない。

それは 不可能だ。

踊っている時に、どうして眠ることができる ?

誰かが あなたの踊りを見ていて 眠ってしまうということはあり得る。

その人にとって、旋回舞踏は退屈かもしれない。

だが、あなたが眠ってしまうことは あり得ない。

だから スーフィー達は、内側に もっと活動性を もっと活力を作り出すために 踊りを使っていた。

そうすることで 意識が拡大するように。

それらの踊りは 本当は踊りではない。

それらは 踊りのように見える。

 

踊っている スーフィー達は、絶えず あらゆる身体の動きを 想起し続けている。

どんな動きも、無意識的に なされるべきではない。

たとえ片手を上げるだけでも その手は 意識に満ちて上げられるべきだ。

あなたが 手を上げる。

今、手が 上がっている。

今、再び 手を 降ろしている、というように どんな動きも 無意識的になされてはならない。

あらゆる動きが 意識的に、注意深さにあふれている状態でなければならない。

すると、突如として無意識が なくなり、三か月間 継続して、一日に何時間も踊り続けることで、あなたは 無意識と出会う。

深く 深く 深く無意識の中に浸透していくと、突如として、内側にある全てに あなたは目覚める。

それが、私が「無意識との出会い」と言うことだ。

それが起これば、白日の元に晒されないものは 何もない。

 

 

(02)終わり(03)に 続く