saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第八章 残るのは知るものだけ 第三の質問 (01)

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第三の質問

愛する和尚、

起きているときに行う 自分への ごまかしや偽りによって、心がとても曇ってしまった人、その人たちには、目が覚めたときに夢を思い出し、再現し、体験するという方法は、より高い意識や真実にいたる 第一歩として有益なのでしょうか。
この方法によって、夢見るマインドが落ちるときが来るまで、神への渇望を高めることができるのでしょうか。



そう、ある程度までだが、それは 非常に役立つ。
だが 忘れてはいけない、ある程度までだ。

そのことを 忘れてしまうと、まずは 夢を見て 時間を浪費し、次には 起きているときに 夢の再現をして 時間を浪費し、その次には、精神分析家のところへ行き、長椅子に横たわって 自分の夢を語り、それを精神分析家に分析してもらって 時間を浪費する、といったことになりかねないからだ。

夢が 重大すぎるものになってしまう。
夢を それほど重視すべきではない。

中身から器へ 向きを変えることが、とくに必要とされている。
当面、夢は 役に立つ。
夢の再現は役に立つ。
夜、夢を見たら 朝それを再現する、そうするのが極めて 有効なこともある。
夜、あなたは 眠っているからだ。
夢は そこにあった、メッセージは そこにあった。
メッセージは 無意識から届けられた、だが意識は ぐっすり眠っていた。
それは あたかも、酔っているあなたに 誰かから電話がかかり、何とか受話器を取って 話は聞くものの、酔っているため 何の話だったか正確に覚えていない、というようなものだ。

メッセージが届けられた、無意識が あるメッセージを伝えた ーー それが夢というものだ。

あなたは 間違ったことをしている、自然に 反している、自分自身に反している という、無意識からの 包まれたメッセージだ。
もういいやめてくれ、家に帰れ、ありのままに、もっと自然に振る舞え、社会のしきたりや モラルのために 自分を失うな、自分を偽るな、真実であれ、という 無意識からの 警告だ。

メッセージは届けられるが、眠っているので、朝には何一つ 正確に思い出せない。
観察したことがあるだろうか。
朝 目を覚ますと 数秒間、夢の断片が意識の中を 漂う。
まさに 数秒間、三十秒たらず、多くて六十秒、一分だ。
それから 消えていく。
顔を洗い お茶を飲み終えると、夜は 終わる。
もう 覚えていない。
朝起きたときでさえ、極めて断片的なものしか そこにはない。
しかも、夢の 終わりの部分だ。

夢を見るとき、あなたは特定の道筋に沿って 夢を見る。
朝五時に 夢を見始める、それから夢の中に入り、六時に 目を覚ます。
覚えているのは 終わりの部分だった。
それは あたかも、映画を見ていたが 終わりのところでしか起きていなかった、というようなものだ。
だから、覚えているのは 終わりの部分であって、初めでも中間でもない。
あなたは 遡行しなければならない。
夢を 思い出したかったら、道筋を 逆にたどらなければならない ーー 本を 終わりから読むように。
それは とても難しい。

それからもう 一つ。
目が覚めて 再び夢の内容を解釈しだすとき、メッセージの すべてを受け取ろうとはしない ということ。
あなたは 多くを処分する。
夢で 母親を殺したら、 それを 処分するだろう。
あなたは 思い出さない、意識に上がるのを 許さない。
許すにしても せいぜい、他の誰かを殺す とか、正体を厳重に隠すとかして、そこに登場させるだけだ。
また、非暴力を高く評価する社会に住んでいるなら、殺したことは 思い出しさえしないだろう。
そこのところは すっかり消えてしまう。
私たちは 聞きたいことしか 聞かない。


聞いた話だが ーー

死の床につきながら、夫は 言った「サラ、死ぬ前に、お前に知っておいてほしいことがある。
仕立て屋のギンズバーグに 二百ドル、肉屋のモリスに 五十ドル、隣のクレインに 三百ドル 貸しているんだ」

妻が子供の方を向いて 言った「素晴らしいお父さんだね。
死ぬときでさえ、誰に貸しがあるか、頭を使って考えているんだから」

老人は続けた、「それから、サラ、大家さんに 百ドル借りていることも 知っておいてほしい」

この言葉を聞いて 妻が大声をあげた
「ハッ、 ハッ、 ハ。 まぁ お父さんたら、うわごと言ってるわ」。


あなたが聞きたいと思うことは 何でも正しい、さもなくば「ハッ、 ハッ、 ハ 」だ。
すると、たちまち そのことと無縁になる。

夢のことは覚えているだろう。
今度は その仕組みが 理解されなければならない。
夢は、無意識から意識への メッセージだ。
というのは、意識は 無意識が不自然と感じるようなことを しているからだ。

また、無意識は あなたの自然な状態だから、つねに正しい。
そのことは 覚えておきなさい。
意識は社会によって 教化されている。
条件づけだ。
意識とは あなたの内部にある社会であり、社会の策略だ。
その意識が不自然過ぎるようなことをしていると無意識が感じ、それで無意識は警告を発したがる。
朝 思い出すとき、あなたは再び 意識を起点にして思い出そうとするわけだが、またもや意識が邪魔をする。
意識は、意識に反するものは 何一つ認めない、口当たりの良いものは何でも認める。
しかしその部分は、重要ではない。
口当たりの悪い部分こそ、本当のメッセージなのだ。

だが、やってみればいい。
心理劇(サイコドラマ)で行われていることが有効だろう。
夢を 思い出すより 再現する方が効果的だ。

それらは別のもので、思い出すときは 意識を、再現するときは 全体を起点にする。
再現には、無意識が再びメッセージを送る可能性が より多くある。

例えば、あなたが 一晩中、道を歩く夢を 見ていたとしよう。
歩いても 歩いても、道は 終わらない。
終わりのない道は とてつもない恐怖を生む。
何であれ、終わりのないものは マインドが対処できないからだ。
マインドは恐れる。
終わりが ない ? とても 退屈に感じる。
あなたは 歩きに 歩く。
だが、道は 終わらない。
あなたは 疲れる、いらいらする、飽き飽きする、あなたは 倒れる。
だが、道は どこまでも続く。
あなたには限界があるが、道にはないようだ。

もしそんな夢を見たなら・・・多くの人が その夢を見る。
それには 重大なメッセージがあるからだ。
ロシアの著名な作家、マキシム・ゴーリキーは 何度もその夢を見た。
彼は、その夢を それまでに見た中で、最も重要なものに属すると言った。
ほとんど毎月のように、その夢は続けて繰り返された。
きっと重大なメッセージがあったのだろう。
そうでなければ繰り返されなかったはずだ。
繰り返された ーー それは、単に ゴーリキーが理解しなかった ということだ。
一度 夢を理解したら、メッセージが届いたら、夢は 止む。
夢が 絶えず繰り返されるとすれば、理解していないことを示しているに過ぎない。
そこで、無意識は あなたのドアを叩き続ける。
無意識は、あなたに 理解してもらいたがっている。

夢を 思い出すことと 再現することは、別ものだ。
目を閉じて 夢を思い出すのは 映画を見ているようなものだが、夢の再現は まったく異なる。
状況全体を造りだし、視覚化する。
それは、スクリーンに映し出された夢ではない。
あなたは夢を 再現する。
あなたは 再び道路にいる。
目を閉じて 道路が浮かんだら、辺りを見渡しなさい。
どんな道路なのか、木があるのか 砂漠なのか、どんな木なのか。
空に 太陽があるのか 夜なのか。
視覚化しなさい、道路に立って、できるだけ色鮮やかに 視覚化しなさい。
というのは、無意識は とても色彩豊かだからだ。
意識は 白黒だが、無意識は 極彩色だ。

だから、色鮮やかに視覚化しなさい。
木の華やかさ、花の色、星の輝きを見る。
道を感じ、足の下の感触を確かめる。
道には それぞれ独自のものがある ーー ごつごつしているのか 滑らかなのか、息づいているのか死んでいるのか。
匂いをかぐ。
そこに立って 匂いをかぎなさい ーー どんな匂いなのか、雨が降ったばかりで 大地からほのかな香りが漂ってくるのか、花が開いて 香りがするのか。
そよ風を 感じなさい。
冷ややかなのか 暖かいのか。
それから、動きだす ーー あたかも実際に動いているように。
それは、記憶の映像ではない。
再現しているのだ。
味わい、感触、空気、手触り、冷たさ、温かさ、青葉、色彩、こうした感覚によって、それは再び 現実化する。
無意識がまた メッセージを送り出すだろう。
そのメッセージが、途方もなく有用なこともある。

このように理解しておきなさい。
だが、それには限界がある。
夜に 夢を見ようと 昼に再現しようと、それが 夢であることを いつも覚えておくように。

また、無意識下、あるいは 無意識を超えたところには、もう一つの開けられるべき 実存の扉がある。



(01)終わり・・・第三の質問 (02)へ 続く