saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(04)

最初の質問

(04)

 

( あなたは 夜、夢を見る )

 

あなたの夢は とても性的な夢か、 あるいは、 その夢のなかで 誰かを殺すとか、自分の妻を殺すような、とても暴力的な 夢だ。

朝、起きても、罪悪感を感じることはない。

それは ただの夢だった と、あなたは言う。

 

それは ただの 夢ではない。

何ひとつ、ただの 何か ではない。

それは あなたの 夢だった。

もっとも、それは あなたの無意識からきている。

朝、起きると、あなたは自分の意識を 自分だと見なす。

そこで「それはただの夢だ。 私のものではない。 それは ただ偶然 起こった。 無意味だし、単なるアクシデントだ」と 言う。

 

見た夢と 自分が 関係がある とは、決して感じない。

だが、それは あなたが作り出した、あなたの夢だ。

あなたの マインドであり、行為したのは あなただ。

たとえ夢の中でも、殺し、虐殺し、レイプしたのは あなただ。

この 非難という 意識の中の現象のために、アダムとイブは 裸でいることが 恥ずかしくなり、恐くなった。

彼らは 自分たちの身体を 隠そうとした −−− 身体だけではなく、後に 彼らのマインドをも 隠そうとした。

我々も また 同じことを している。

 

「善」と言われる こと、社会が「良い」とすることを、自分の 意識の中に入れる。

そして、「悪」、社会が「悪い」とすることを、無意識へと 投げ捨てる。

すると 無意識は ゴミ箱になる。

あなたは無意識の中に 投げ捨て続ける。

が、それらは あり続ける。

あなたの 根源の奥深いところから、それらは 働きかけ続ける。

そして あらゆる瞬間に、あなたに 影響を与える。

 

意識マインドは、無意識マインドの前では まったく無能だ。

意識マインドは、社会の副産物に過ぎないからだ。

一方、あなたの無意識は 自然、生物的なものだ。

それには エネルギー、力が ある。

 

だから、あなたは ずっと「良い」ことを 考え続けてはいても、 ずっと「悪い」ことを し続ける。

 

オーガスチンは「神様、私の考えることは何であれ、為すに値するものなのに、私は決してしません。 そして、 してはいけないと わかっていることを、いつも してしまうのです。 それが私にとっての唯一の問題です」と 言ったそうだ。

 

それは オーガスチンだけの問題ではない −−− 意識と無意識とに 分かれている すべての人間の問題だ。

 

恥ずかしい と 思う感覚が入ったことで、アダムは 二つに分割された。

彼は 自分を恥ずかしく思うように なった。

その 恥ずかしいと 自分で思う部分が、彼の 意識マインドから 切り捨てられた。

以来、 人間は 二つに分かたれ、断片的な生を 生きてきた。

なぜ、アダムは 恥ずかしいと 感じるようになったのか ? 

 

説教師も、 宗教の教会も −−− 誰ひとり、彼に そう思わせるように 仕向けた人は いなかった。

あなたが物事を 意識するようになった時、エゴが 入ってくる。

あなたは 傍観者に なった。

意識が なければ、あなたは ただの部分、大生命の ただの部分だ。

あなたは 大生命と異なるものでも、離れて存在するものでもない。

もし 海の 一つの波が意識的になれば、まさに その瞬間に、

波は 海から離れて、一つのエゴを作り出すだろう。

もし波が 意識的になり、「私は存在する」と 思うなら、波は自分が海とひとつであり、ほかの波と ひとつであるとは 思えない。

波は 別の、離れた存在になった。

エゴが 生まれたのだ。

 

知は エゴを作り出す。

子供たちは エゴを持たずに 生きている。

彼らには 知識がない。 彼らは 無知だ。

そして、エゴは 無知から湧き上がるものではない。

成長すればするほど、エゴに 向かって成長していく。

だから 老人には、とても強固な、深く根差したエゴが ある。 それは 当然だ。

彼らのエゴは、七十年、 八十年 存在してきた。 長い歴史が ある。

 

 

 

(04)終わり(05)へ 続く