saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(05)

最初の質問

(05)

(…老人には、とても強固な、深く根差したエゴが ある。 それは 当然だ。

彼らのエゴは、七十年、 八十年 存在してきた。 長い歴史が ある )

 

もし 記憶を遡って 子供時代を思い出そうとすると、

どうして思い出せないのかと 驚くかもしれない。

あなたは 四才か 三才より以前を 思い出せない。

普通、四才か五才くらいの時、あるいは、 せいぜい三才くらいに起こった出来事なら 思い出すことができる。

だが、 最初の 三年は まったくの空白だ。

それは あった。 多くのことが起こった。

が、 どうして 思い出せないのか ? 

 

エゴが なかったので、思い出すのが 難しい。

ある意味、あなたは いなかった。

だから どうやって 思い出せるだろう。

 

もし あなたが 存在していたら、思い出していただろう。

が、あなた は いなかった。 あなたは 思い出せない。

 

記憶 とは、 エゴが あなたの なかに入って初めて存在する。

何故かというと、中心が ないと、 記憶が ぶら下がりようが ないからだ。

あなたが いなければ、記憶は ぶら下がりようがない。

三年というのは 大きい。

子供に とっては、あらゆる瞬間が 一つのイベントだ。

すべてが、なにか特筆すべき 現象だ。

何ひとつ、 ありきたりではない。

実際、 彼は より多くを 覚えているはずだ。

彼は 最初の年、この世に生まれてきた 最初の日々を覚えているべきだ。

なぜなら その時期は、すべてが カラフルで、

すべてが ユニークだったからだ。

何であれ、起こったことは 新鮮だった。

だが、記憶は 存在しない。 何故か ? 

 

それは エゴが存在しなかった からだ。

中心がないと 記憶はぶら下がりようがない。

 

自分 とは、他人から 離れて存在しているのだ と 子供が感じて 初めて、 恥ずかしい という感覚を 持ち始める。

彼は、アダムに訪れた 同種の恥ずかしさを 感じ始めるだろう。

アダムは 自分が 裸であることに 気づいた −−− 動物と同じように −−− あらゆる存在と 同じように。

 

ユニークでなければならない。

他のものと 同じであっては ならない。そうして 初めて、エゴは 増長させられる。

その 最初の行為が、 裸を 隠すことだった。

 

突如として、アダムは ほかの存在とは 違うものになった。

彼は 動物ではなくなった。

 

人間は アダムと同じように、アダムと同じように 恥ずかしく思う感覚を持って生まれる。

アダムのように 恥ずかしさを感じる 心を持って、人間は 生まれてくる。

子供は まだ人間ではない。

自分が 他人とは違う、別々のものだ と 感じはじめた時 −−− 彼が 一つのエゴになった時、子供は 初めて 人間になる。

 

だから 本当は、罪の感覚を与えるのは 宗教ではない。

罪の感覚を与えるのは あなたの エゴだ。

宗教は それを利用して あなたを 搾取する。

だが、それは また別のことだ。

 

すべての父親が 子供に こう語る。

「畜生みたいなことをして、お前は 何をしているんだ ?

笑うんじゃない。泣くんじゃない。 これを するな。あれを するな。

人前で これをするな。 お前は 何をしているんだ ? −−− 畜生みたいなことをして !」と。

 

自分のことを 動物だ と 考えると、 子供のエゴは 傷つく。

エゴを 満たすために 父親に従い、行儀よくする。

 

動物で あることは、実に幸せだ。 そこには 自由が ある。

深い自由、行動する自由、何かをする 自由がある。

だが、それは エゴにとっては苦痛だ。 

 

 

 

 

 

(05)終わり(06)へ 続く