saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(06)

最初の質問

(06)

 

(…だが、それはエゴにとっては 苦痛だ )

 

だから、選びなさい。

もし自由を 選べば、 あなたは動物のようだ と 非難される。

この世でも あの世でも、非難されるだろう。

あなたは 社会によって、地獄に 放り込まれるだろう。

だから「人間らしく しなさい。 動物のように振舞うんじゃない !」という 言葉通りに することだ。

そうすれば エゴは 満たされる。

 

そうやって、人は エゴの周辺に 生きはじめる。

すると、人は エゴが満足するような 行為をし始める。

だが、 自然を 絶対に 否定はできない。

それは 影響を 及ぼし続ける。

すると、人は 二つの生を 生き始める。

 

一つは アダム以前の生、そして もう一つは アダム以後の 生だ。

人は ふたつの生を 生き始める。

ふたつの 義務を背負って 生き始める。

 

すると、社会に見せるための 顔が作られる。

一つは プライベートな顔で、もう一つは 公の顔だ。

だが、あなた自身は プライベートな顔だ。

そして、誰もが アダムだ −−− 裸で、 動物のような。

が、あなたは その顔を 公には 見せられない。

公に対しては、あなたは アダム以後の顔を 見せる −−− 全てが清潔で、全てが 社会形態に 適応する顔を。

 

あなたが 他人に見せる あらゆる顔は、真実のものではなく、 そうありたい と 思う顔だ。

実際の顔ではなく、そうであるべき 顔だ。

 

だから誰もが、一つの顔から 別の顔へと 絶えず変える 必要がでてくる。

プライベートな顔から 公の顔へと、 あなた方は 瞬間ごとに 顔を変え続ける。

 

それは 実に 神経を すり減らせる。

大量のエネルギーを 散逸させる。

 

だが、私は「動物のように なれ 」とは 言わない。

もう、それは 不可能だ。

禁じられた 知恵の実は 元には戻せない。

あなたは 食べてしまった。 それは 血となり 骨と なった。

体外に出す 方法はない。 元に戻す 方法はない。

父なる神に「禁じられた知恵の実 −−− これを 元に戻しますから、どうか私を お許しください」とは 言えない。

道は ない ! 

それを戻す方法はないのだ。

今や、それは あなたの血と なっている。

 

我々は 後戻りできない。 前進する しかない。

元には 戻れない。 我々は 知より下には 行けない。

知を 越えていくしか ないのだ。

 

唯一、 違う種類の無垢 −−− 

完全なる意識の 無垢のみが 可能なのだ。

 

無垢には 二つのタイプが存在する。

一つは 知より 下 −−− 子供のような状態、アダム以前の状態、動物のような 状態だ。

知より 下では、あなたは 存在しない。 エゴは 存在しない。

トラブルメーカーは 存在しない。

広大無辺の、 全体の一部として あなたは 存在する。

あなたは 自分が全体の一部であることを知らない。

広大無辺の全体が 存在することを知らない。

あなたは 何ひとつ 知らない。

知る ということなしに 生きている。

 

当然、苦悩は 存在しない。 なぜなら、 苦悩は 何かを 知ることなくして あり得ないからだ。

 

人が 苦悩を 味わうには、苦悩を 意識しなければならない。

苦悩を意識せずに、どうして苦しむことが できるだろう。

 

あなたが 手術されている とする。

外科医が あなたを手術している。

もし あなたに 意識が あれば、あなたは苦しむ。

もし 無意識なら、苦しみは ない。

足が 完全に 切り落とされても、苦しみはない。

 

その苦しみは どこにも記憶されないし、どこにも 知られないし。 あなたは 無意識に陥っている。

無意識のなかで 苦しむことは あり得ない。

 

あなたが 苦しみを 感じるのは、

意識が 目覚めているとき だけだ。

意識的に なればなるほど、あなたは より多く苦しむ。

人間の知識が 進めば進むほど、より多く 苦しむことになる。

 

原始的な人々が、 あなた方ほどに 苦しむことは あり得ない −−− それは彼らが 良い状態だからではなく、無知だからだ。

今日でも、文明の届かない村に 住んでいる人々は、近代社会の 一員ではない。

なのに、彼らは もっと純真な あり方で 生きている。

彼らは それほど苦しまない。

そうした理由で、多くの誤解が 思想家たち、哲学者たちに 生じた。

 

 

 

(06)終わり(07)へ 続く