saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(15)


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最初の質問

(15 終回)

 

( それを仏教徒は 涅槃(ニルヴァーナ)と呼ぶ。

それを 解脱(モクシャ)と言ってもいい −−− 何とでも言うがいい。

名前などは どうでもいい )

 

それには 二つの方法がある。

アダムは、自分のセックスを 意識するようになった。

その時、彼は それを抑圧できた。

常に 内側に隠されている動物がいることを 知りながら、常に そうではないふりをし、絶えざる苦悩のなかで セックスと闘うことができた。

それが 苦悩だ。 そして、人は どこへもまったく たどり着くことなしで、何生も 水平に動き続けられる。

その轍は、同じ繰り返しの 円だからだ。

それゆえ、我々は それを輪(ホイール)と言う −−− 反復的な円だ。

 

だが、その輪から 飛び出すことは可能だ。

そのジャンプは 抑圧によってではない。

もっと深く 知ることによってだ。

ゆえに私は

「あなたが 禁じられた知恵の木の実を 食べてしまったら、今度は 木すべてを食べなさい」と言う。

それが 唯一の道だ。

さあ、その木 すべてを食べなさい ! 

一枚の葉っぱでさえ 残してはならない。

あとかたもなく 木を食べ尽くす。

全部 食べてしまいなさい ! 

そして初めて、あなたは 知ることから自由になることだろう −−− それ以前では決してない。

そして私が「その木すべてを食べなさい」と言うのは、「意識的になる、完全に意識が目覚める」ということだ。

 

断片的な意識が 問題だ。

完全に無知で あるか、完全に意識が覚醒しているかの どちらかだ。

全一性は 至福だ。 完全に 無知でありなさい。

そうしたら、あなたは 至福の内にある。

あなたは それを意識しないだろう。

が、あなたは 至福の内にある。

ちょうど あなたが深い眠りの中 −−− 夢さえ見ず、マインドの動きがない状態で 眠っている時のように −−− 

あなたは至福のなかにある。

が、それを感じることはできない。

朝になって「夜の眠りは 全く喜びに満ちていた」と あなたは言えない。

眠っていた時、その至福を感じていなかった。

あなたが 眠りから醒めて、初めてそう感じられた。

認知が起こり、意識が入って初めて、「夜は実に喜びに満ちていた」と 言えるのだ。

 

まったくの無知か、あるいは可能な限り 完全に知っているか。

トータルであることで、至福が そこにある。

トータルであることは 至福だ。

 

だから、木を食べなさい。 根も すべて食べてしまいなさい。

そして、意識的で ありなさい。

それが 覚者、ブッダ −−− 光明を得た者 という意味だ。

彼は、その木すべてを 食べてしまった。

そうすれば、もう誰も 意識的な 者 はいない。

ただ、意識 だけが存在する。

その、ただ 意識 だけが存在する状態、それが 再びエデンの園に入る ということだ。

再び、古い道を 見つけることはできない。

それは永遠に 見逃すことだ。 が、新しい道を見い出だせる。

再びエデンの園に入ることができる。

 

すると実際に、悪魔がアダムに約束したことが 成就されるだろう。

あなたは 神のようになる。

悪魔の言うことは、ある意味で正しかった。

もし知恵の木の実を食べれば、神のようになるだろう。

 

我々の現状のマインドでは、それは 想像できない。

我々は ちょうど地獄にいるからだ。

悪魔の 誘惑のせいで、我々は地獄にいる。

我々は、まるで 二つの間で どっちつかずで、常に分裂しているような状態だ −−− 苦悩のなか、辛い状態に。

それは 悪魔が我々をだまし、アダムを だましたかのように思える。

だが、それが すべてではない。 歴史は まだ完結していない。

あなたは それを完結させられる。

そうして初めて、悪魔の言ったことが すべて正しかったか、そうでなかったかが判定できる。

 

だから、 その実を すべて食べるがいい。

すると、 あなたは 神のようになるだろう。

完全に意識的になったら神となる。 彼は 人間ではない。

 

人類は 一種の病気だ −−− 人は 安らいでいない。

常に 不安を抱えている。

 

動物のようなら、あなたは健全だろうし、神の如くなら、また健全であるだろう −−− あなたが全体なのだから、全体のなかに あるから健全なのだ。

 

英語の「holy (神聖な)」という言葉はいい。

それは 純粋さに あふれている、 という意味だけではない。

本当は、全体で あることを意味している。

全体に ならない限り、あなたは 神聖ではあり得ない。

だから 全体に なりなさい ! 

 

二つのタイプの 全体性がある。

一つは 動物のそれであり、 もう一つは 神のそれだ。

 

 

 

第2章 --- 最初の質問(15) 終わり・・・

二番目の質問 (01)へ 続く