saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第2章(質疑応答)「トータルであることは至福だ」(09)

最初の質問

(09)

 

( 子供時代は、なぜそんなに ビューティフルで 喜びに満ちているのか ? 

それは、あなたが まだ宇宙の 流れの一部であり、 責任がなく、 絶対的に自由で 良識もなく、 重荷が ないからだ )

 

あなたは 生きていた。 あたかも 当たり前のように、為されるべき 何か ではなく ただ在る、というようにだ。

 

その後、エゴが入ってきて、葛藤と 戦いが やって来た。

そうして、あらゆる物事が 一つの責務と なり、毎瞬が 自由のない束縛状態に おかれることになった。

 

心理学者は「宗教は 郷愁を反映しているに過ぎない」と語る −−− もう一度、子供の頃に帰りたい という望みだ と。

彼らは それ以上のことも 言っている。

「究極的には、誰もが 母親の子宮に帰りたい」

母親の子宮のなかに いるとき、 あなたは宇宙の 一部だった。

宇宙は あなたを 養ってさえいた。

呼吸でさえ、自分で する必要が なかった。

母親が あなたの 代わりに呼吸していた。

 

その時 あなたは、 母親の存在に 気づいていなかった。

自分自身にも 気づいていなかった。

あなたは 意識が なかった。

子宮は エデンの園だ。

そこで、すべての人間が アダムとして生まれて来る。

そして、すべての人間が 禁じられた知恵の実を 食べなければ ならない。

あなたが成長して、意識が増していくから、それは避けられない。

だから それは、アダムが 神に反逆したのではない。

反逆とは、人間が成長する過程の 一部だ。

人間は それ以外に ありようがない。

彼は 実を食べなければならない。

すべての子供に 反逆が必要だし、

知恵の実を 食べなければならない。

すべての子供に 反逆が必要だし、神が与えた 戒律を破らねばならない。 生が それを 要求する。

 

子供は 母親から、父親から遠く離れるべきだ。

子供は 親と一緒にいたいと 思うだろう。

何度も何度も、子供は 親と一緒にいたい と願い、夢に 見るだろう。

が、それでも子供は 親から遠く 離れなければならない。

それは 避けられない 過程(プロセス)だ。

 

 

「この感覚の背後にある 深い意味は 何なのですか ?」と あなたは たずねている。

物事を 知ることは、あなたに エゴを与える。

エゴは 比較を、人を 責め裁くこと、個性を 与える。

 

あなたは自分を 動物とは 思えない。

人間は 自分が一匹の動物である という事実を隠すために、あらゆることを してきた。

人間は あらゆることを してきた ! 

我々は、自分たちが動物だ という事実を隠すために、毎日 様々なことを している。 が、我々は動物だ。

その事実を隠すことで、事実が 壊されるわけではない。

むしろ、そうすることで 倒錯してしまう。

だから、いつであれ 隠された倒錯が 表面に浮かび上がってくると、 人間は どんな動物よりも 動物的に なってしまうのだ。

 

もし あなたが暴力的に なれば、

あなたと競争できる動物など いはしない 

どうして 競争なんかできるだろう ? 

広島や ベトナムに 起こったようなことを しでかした動物はいない。

唯一 人間のみが、ヒロシマを生み出せる。

暴力に関して、人間に 比較できる動物は いない。

 

歴史 全体のなかで 全ての動物がしてきたことは、広島に比べれば、ただの お人形遊びのようなものだ。

それは蓄積された 暴力だ −−− 隠され、貯えられていたものだ。

我々は そういう暴力を 隠し続ける。

すると、それらは蓄積される。

その暴力を 蓄積すればするほど、我々は さらに、

やましさを 感じるようになる。

それが隠されていることを 知っているからだ。

我々は それから 逃がれられない。

 

 

 

(09)終わり(10)へ 続く