saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

問題は 一つだけーーー4️⃣

(…あなたの陥っている状態は、ほかの誰もが陥っている状態と同じだ。 みんな同じように育てられてきたのだから。)


西洋の 精神分析医の 一派で、子供が 両親に育てられる限り 世界は けっして平和にはならないから、子供は 親なしで育てられるのがいい という提案をしている人たちがいる。

私は これには賛成しない。


なぜなら、そうなったら 子供はどんな風であろうが、けっして育たないからだ。

この提案のなかには確かに真実をつくものがある。
だが 提案としては非常に危険だ。

というのは、もし子供が 母親も父親もなしで 看護院的な所で育てられたとしたら、愛のない 全くの無関心のなかで育てられたらとしたら、エゴの問題は なくなるかもしれないが、別の違う問題を持つようになり、それはエゴの問題と同じように、いやそれ以上に危険な問題になるかもしれないからだ。


無関心のなかで 育てられる子供は、内側に 自分の中心(センター)となるものをもたない。

自分が誰であるか知ることなく、色んなものが入った雑炊のような、ぎこちない存在になってしまう。

アイデンティティーを全くもてず、不安がり、怖がってばかりいて、どんなことにも 怖れを感じずには 一歩も進めない。
誰からも 愛されたことがないからだ。


もちろん エゴは存在しないだろう。
しかし エゴがないというのは 自分の中心もないことになる。

その子供は 覚者(ブッダ)になることはない。
ただ鈍重で 劣った存在として、愚かで いつも怖がってばかりいる一生をすごす。


人が 怖れを感じないようになるには 愛が必要だ。


自分は 受け容れられている、誰かが愛してくれている、自分は けっして無用な人間ではない、けっして ゴミ捨て場に捨てられるような存在ではない。


もし子供が 愛の欠けた状況で育てられるとしたら、確かに エゴはもたなくなる。
それは その通りだ。
その人生もまた それほど葛藤に巻き込まれないだろう。
だが それは、闘うこと自体が 全然できなくなっているからだ。
常に逃げ腰で 誰からも逃げまわり、自分のなかの ほら穴に隠れこんでいる。

こういう人たちは 覚者(ブッダ)になることはない。

活気あふれた力に輝くこともないし、自分の中心が ゆったりと落ち着いて くつろぐこともない。

中心から外れてしまった 変わり者で終わっていく。
こういう状況は良いものだとは けっして言えない。


だから私は その精神分析医たちを 支持しない。

彼らは 人間ではなく、ロボットを作り出してしまう。
ロボットには もちろん問題などない。


それとも 動物のような人間が作られるのかもしれない。
そんな人間には 心配も少ないだろうし、胃潰瘍や ガンにもかからないだろう。
だがそんなことは 達成するに値しない。

そんな人間は、意識のより高い頂きへと 成長していくことがない。
むしろ 堕ちる一方だ。
それは 退化でしかありえない。


もちろん動物だったら 苦しみはずっと少ない。
ほんの少しの意識しかないからだ。

そしてもし あなたが 石とか岩だったら、全く 何の不安もなくなる。
なぜなら、存在の内側に 不安を感じたり苦しんだりする 何者もいないからだ。

しかしこんなことは 達成する価値はない。
人は 神のようになるべきであって、岩のようになっても仕方がない。


〈神〉という 言葉の意味は このことだ。

全く完全で 純粋な意識をもちながら、それでいて 一切の気がかりも、惑いも、問題もなく、ただ 小鳥のように 生を楽しむ ということだ。
そして、
全く完全である意識をもつ とは、小鳥のように 生命を祝福し、小鳥のように唄うことだ。

だが、けっして退化して そうなるのではない。

逆に、意識の最高の状態へ成長していってこそそうなる。


子供が エゴを集めていく、これは 自然なことだ。

それに関して どうこうできることは何もない。

私は むしろそれを受け容れる。

ただ 後々になっても そのエゴを 引きずっていく必要はない!


そのエゴは 子供が その生の初めに、自分が 受け容れられている、愛されている、歓迎されている と感じるのに必要なものだ。

父親や 母親、家族、周囲の 暖かい雰囲気、それらが 子供を強く、地に根を張った どっしりとした人間に成長するのを助ける。


だから エゴは必要だ。

そこではエゴが 一つの保護になっている。

それは 種を覆う 外殻のようなもので、良いものだ。


だが、外殻が 究極的なものになってはならない。
そんなことになったら 種が 死んでしまう。

保護も 過ぎると毒になる。
保護は あくまで保護であるべきだ。

この外殻の場合も、種の殻として 死んで大地に帰るときがきたら、あるがままに 自然に死ぬがいい。

殻が去れば 種は 発芽できる。
また生命が 生まれる。


エゴとは まさに この保護役の殻だ。

子供は 無力だから それを必要とし、弱いからこそ それを必要とする。


5️⃣へ つづく