saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

問題は 一つだけーーー3️⃣

(…周囲の人の助けがなければ 子供は生きていけない。 このことが まず第一にある。)


動物や 樹木、鳥には 問題というものは存在しない。
全く問題なしの生命を生きる。

彼らは ただ単純に生きるだけだ。
なんの問題もなく、心配もなく、胃潰瘍にも ガンにもならずに、ただ生きて 生を楽しむ。

そして 生命があるあいだは、その時間を 祝福して生きる。

彼らの死も また何ら問題はない。
問題なしの存在として生きるからだ。


だが、人間の子供だけは 無力なまま生まれてくる。
動物にしても 草木にしても 鳥にしても、その子供たちは 親がなくても生きていける、社会がなくても生きていける、家族がなくても生き残れる。

たとえ ときに助けが必要なことがあっても、それは ほんのわずかなものだ。
二、三日とか、長くても 二、三ヶ月のことだ。


ところが 人間の子供の無力さは 長くつづく、何年も何年も 他人(ひと)に頼らなければならない。
そして、
そのことに 問題の根を探し出す必要がある。


では、なぜ無力さが 人間の問題を つくり出すのだろう?


子供は無力だ。
他者に 頼っている。

しかし、子供の 無知なマインドは、この 他者に頼る ということを、まるで 自分が 世界の中心であるかのように 解釈する。


子供は考える。
自分が泣けば、母親は いつでもすぐに走って来てくれる。
お腹がすいたときには、ちょっとした仕草をするだけで 乳がもらえる。
おシリが濡れたら、ちょっと声を出したり 泣いたりすると誰かが来て、乾いたおムツに変えてくれる。


子供は皇帝のように生きる。

実際には 無力で 頼りなく、母親や父親や 家族みんなに 生きるのを助けてもらっている にも関わらず。

彼らの方は 別に子供に頼っているわけではない。
子供の方が 彼らに頼っているだけだ。

だが子供の 無知なマインドは、それを、 自分こそ 世界の中心なのだと解釈する。

全世界が 自分のために存在していると思いこむ。


もちろん、この全世界は 最初は とても小さな全世界だ。
まず母親がいて 周辺に父親がいる。
これだけの 全世界にすぎない。

そして両親は 二人とも子供を愛している。
子供は ますますエゴイスティックになる。
自分が 、存在するもの全ての中心だ と感じるようになる。


エゴが 生まれたのだ。

エゴは、頼ることと 無力さを通じて生まれてくる。


実際の状況は まさに反対で、エゴを生みだす理由など 全くない。

ところが 子供は 完全に無知な存在だ。
まだ ものごとの複雑さや 微妙さを理解できない。

自分が無力であるとは 感じられないで、独裁者だ と感じている。
そして
この頃から 一生死ぬまで、人は 独裁者で ありつづけようとする。


もう一人の ナポレオンになる者、もう一人の アレクサンダーになる者、あるいは もう一人の アドルフ-ヒットラーになる者。


大統領とか宰相、独裁者というのは、みな子供っぽい人たちだ。
彼らは 子供と同じことをやろうとする。

存在するもの全体の中心にいたい。
世界は 自分と共に生きるべきであり、そしてまた自分と共に死ぬべきである。
世界は 自分の周辺に過ぎず、世界の存在意義は 自分にある。
そして 自分にこそ人々の生きる目的がある と。


子供だったら もちろん この解釈は 正確だと思うだろう。
母親の 眼差しのなかに、子供は 自分が彼女の生きがいであることを見る。
そして 父親が帰ってくれば、子供は 自分が彼の 人生の意味そのものであることを 感じる。


この状況は 三年か四年つづく。

人生の 初めの四年は 一番大切な時期だ。

一生を通じて、これほど可能性が豊かに潜んでいる時期は 二度とやってこない。

最初の四年間で、子供は ほとんど人として完成すると 心理学者たちは言っている。

人の 習性のパターンは 全てこの時期までに 定まる。
そして
生涯を通じ、人は、その同じパターンを いろいろ違った状況で くり返していくだけだ。


この頃に、原型(パターン)は 既に完成している。


七歳までに 子供は 完璧に出来あがる。
もう これ以上 何も起こりはしない。
もう その姿勢は固まり、エゴが 腰を落ちつける。

そこから 外の世界へ出ていくと、あらゆるところで問題に ぶつかる。

数え切れないほどの問題だ。
そして
自分のなかの 根っこは持ち歩きつづける。


家族という内輪から出ていくと、問題は すぐに起こってくる。
母親がしてくれたような気遣いは 誰もしてくれないし、また父親がしたような 心配りをしてくれる者は 一人もいない。

全くの 無関心があるだけだ。

そうなると エゴは 傷つく。
かといって、
今では パターンが 出来あがっているから、傷つこうが 傷つくまいが 子供には そのパターンを変えることはできない。

それは、その子供の 存在の青写真そのものに なっている。


他の子供たちと 遊んだとしても ボスになろうとするだろうし、学校に行くようになったら 人より抜きん出ようとするだろう。

クラスで 一番になろう、クラスの重要人物になろうとする。
そして、自分が最も 優れた者であると信じこむ。

ところが 他の子供たちも また同じように考えているから、衝突が起きる。
争ったり、闘ったりする エゴの群れ。


これが 一生つづく お話になる。


あなたの周りには、あなたのエゴと まったく同じようなエゴが 何百、 何千万といる。
誰もが 策をこらして他人を支配し、コントロールしようとする。

そのためには 金の力や 権力、政治力を使い、知識や 腕力、ウソや演技や 偽善、ときには宗教や 道徳まで使う。

あらゆる人が「自分こそ中心」であることを 全世界に示そうとするが、これこそ、全ての問題の 根っこなのだ!


自分が中心だ という考えがあるからこそ、あなたは いつも誰かと争ったり もめたりしている。

相手が あなたの敵であるわけではない。

ただ 誰も彼も みんな、まさにあなたのような存在だ。
同じ船に乗っている。

あなたの 陥っている状態は、ほかの誰もが陥っている状態と同じだ。

みんな 同じように育てられてきたのだから。


4️⃣へ つづく