saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

問題は 一つだけーーー2️⃣

(…あなたは とてつもない数の問題を抱えこんで、それらを解決しようとしている。)

だが 一つとして解決できない。


解決できないはずだ。
最初から そんなに多くの問題など存在しないのだから。

あるのは ただ一つだけだ。


もし その多数の問題の方を 見てしまったら、本当に存在する 唯一の問題が見えなくなる。
そして 存在してもいないものを追いつづけ、そのために 本当に存在しているものを見失う。


だから まずしなくてはならないことは、この根本的で唯一の問題が何であるかを 理解することだ。

これは 長い間にわたり存在してきた問題で、あなたとか 私とか、特定の人に属する問題ではない。
全ての人間に属している。


それは あなたと共に生まれ、そして残念ながら、今までのところ ほとんど誰もがそうであるように、あなたが死ぬまで 死ぬことはない。

もし この問題が、あなたが死ぬより前に 死ぬとしたら、あなたは 解脱に達したということだ。


宗教が注ぎ込む 努力の全ては、人がその問題に 完全に殺される前に それを解き明かせるよう、手助けをすることにかかっている。


問題を 一切もたない人の可能性はある、そういう人こそ 宗教的な人だ。
そういう人は 根本的な問題を解決していて、問題が 全くない。
根っこを切ってしまったのだ。


ティロパが言うのは このことだ。「マインドの根を切ってしまえ」


枝や 葉を切っても仕方がない。
枝や葉は 何百万とあるのだから、それらを切ったところで、根っこを切り取ることはできない。

樹は 成長しつづけるだけでなく、むしろ葉は ますますおい繁り、枝は太く 大きくなる。
枝や葉を 刈り込んでいけばいくほど、樹は繁る。


だから枝葉のことなんか 忘れてしまいなさい。

それらは 本当の問題ではない。
本当の問題があるのは 根のなかだ。
根っこを切ってしまいさえすれば、樹は だんだん萎れ、枯れていく。


では、マインドの 根本の問題はどこにある?

それは あなただけが持っているのでも、誰か特定の人たちだけが持っているのでもない。
人間であること自体に その問題の根はある。


あなたが 人として生まれる瞬間に その根も生まれる。
だが、あなたが死ぬまでに、それが 溶けてなくなることだってありうる。


さて 子供が一人 生まれたとする。

いいかな、一歩 一歩 私の言うことに ついてくるがいい。
もし それが何かを 正しく理解できたら、この問題は すぐにも解決できる。

解答は 問題自身のなかにあるのだから。


問題とは ちょうど一粒の種のようなもの、回答は その種のなかに隠されている花のようなものだ。

もしあなたに この種を 正しく全面的に理解できたら、答は もう目の前にある。


問題を解決する ということは、実は問題を解くことでなく、問題を理解することだ。
答は 外側のものではなく、内側のものだ。
それは内側の どこかに隠れている。

だから 答を 探したりしないことだ。


ただ 問題をより深く見ていきなさい。
根っこを 見つけるがいい。
実際には 根っこを切る必要もないだろう。

ひとたび 問題を真に理解することができたら、その理解そのものが 根っこを切る。


だから、どうやって問題が生まれるかを 見ていくために、一歩 一歩 ゆっくり私についてきてほしい。
そして解決などには こだわらないことだ。
哲学が この世に現れたのは そのこだわりのためだ。
一つ問題があるとすると、マインドは 答を見つけようと 動き始める。

哲学 誕生だ。
しかし、
問題があって、マインドが それを理解しようとし始めたら、宗教が 生まれる。


さて、子供が 一人生まれたとする。
子供は 全く無力で 頼りない存在だ。
特に 人間の子供はそうだ。
周囲の 人の助けがなければ 子供は生きていけない。

このことが まず第一にある。


3️⃣に 続く