saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章 「〈彼方〉から 」 (03)

(…その 合い間、空間、その虚空が、人を完全に 新鮮に保ちつづける
なぜなら 死 だけが あなたを絶対に 生き生きと保つことができるからだ
あなたは 一度は死ぬ、七十年後には・・・)

あなたは 七十年間の ごみをためる
ブッダは 瞬間ごとに死ぬ
どんなゴミも ためられてはいない
どんなものも ためられてはいない
どんなものも けっして所有されない
だからこそ仏陀は、先日
「相 (マーク)を所有することは欺く者になることである」と 言ったのだ
なぜなら 所有は過去のものだからだ
相 (マーク)を 所有しない ということがブッダである ということだ



ちょっとそれを 考えてごらん
一瞬一瞬が、ちょうど息のように、生じている

あなたは 息を吸い、息を 吐き出す
ひとつひとつの吸う息が 生であり、ひとつひとつの吐く息が 死だ
あなたは 息を吸うたびに 生まれ、息を吐くたびに 死ぬ

一瞬一瞬をして生と死たらしめるがいい
そうすれば あなたは新しくなる
この新しいものは あなたの過去、意志、指向、衝動とは なんの関係もない
それは臨機応変に 行動するはずだ
それは反応 (リアクション)ではなく 対応 (リスポンス)だ

過去をもとに 為されたことは すべて古い
そのために人は 自分だけでは何ひとつ 新しいことができない
それを 見 る ことは、古いもの、過去、自分自身と 手を切ることだ

私たちにできることは ただそれだけだ
だが それが全部だ、それがすべてだ
古いものが終わると すぐに、新しいものが続くかもしれないし、続かないかもしれない
それは たいした問題ではない


新しいものに対する 願望そのものが 古い願望だ
そのときには 人は まったく開放的(オープン)に なる
新しいものを求めることさえ 古い願望だ


ブッダは 新しいものを求めることさえしない
何かに対して、それはこのようにあるべきだ という欲望は まったくない
欲望があれば、あなたは それを そのように管理する
あなたは それに 自分自身を 押しつける


生を 無欲に 見なさい
生を どんな条件もなく 見なさい
生を あるがままに 見なさい
ヤター・ブータムーーー

そうすれば あなたはたえず甦り、真新しくなる
それが〈復活〉の 真の意味だ
もしこれを理解したら、あなたは 記憶から解放される
それは 心理的な記憶だがーーー

記憶は死物だ
記憶は真実ではない、けっして ありえない
なぜなら 真実は つねに生き生きとしているからだ
真実は 生命だ
記憶は もはや ないものへの固執
それは亡霊の世界に住んでいる
だが それは私たちを包む
それは私たちの 牢獄だ

実際のところ、それは私たちだ
記憶は、「私」自我(エゴ)と呼ばれる結び目、複合体 (コンプレックス)を 創り出す
そして当然「私」という この偽りの実体は たえず死を おそれている
あなたが 新しいものを おそれるのは そのためだ


この「私」が おそれている、ほんとうの あなたではない
存在 (ビーイング)は 恐怖をもたない
だが自我(エゴ)は 恐怖をもつ
なぜなら自我(エゴ)は 死ぬことを非常におそれているからだ

自我 (エゴ)は 人工的なもの、かってにつくられたもの、 組 み 合 わ さ れ た も の だ
それは いつでもばらばらになりうる
そして新しいものが入ってくるとき、恐怖がある
自我(エゴ) は おそれる
ばらばらになるかもしれないからだ



(03)終わり・・・(04)へ 続く