saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第6話 ーーー Q&A 最初の質問 (14)

…( 第七は 私的な憧れだ
芸術家,神秘家,ユートピアン,夢想家 ーーー
彼らは そこに引っかかっている
彼らは
いつも 世界にひとつのユートピアを つくり出そうとしている )

ユートピア” という言葉は とてもビューティフルだ
それは “けっして来ないもの” を意味する

それは いつも来つつある
が,けっして来ない
それは いつも あ そ こ に あって,けっして こ こ にはない
だが,遥か彼方
遠くの方ばかり見ている “望遠狂” というのがいるものだ
そして,彼らは いつも イマジネーションの中を さまよっている
大詩人たち
想像力に富んだ人たち ーーー
彼らの自我(エゴ)は そっくり何かに な る ということに かかりきっている
ある人は 神に な り たい
それを 神秘家(mystic) という

覚えておきなさい
“ なる ” というのが 第七の キーワードだ

そして,第七は 自我(エゴ)の 最後でもある
最も成熟した 自我(エゴ)が そこまで来る
あなた方が 詩人に感じること
詩人に見るものが それだ

彼は何ひとつ 持ってはいないかもしれない
彼は 一介の乞食かもしれない
だが,彼の 目の中には
彼の 鼻先には
偉大な自我(エゴ)が 見えるだろう
神秘家 ーーー
彼は 世間を棄てて
ヒマラヤの 洞窟の中に 坐っているかもしれない
そこへ行って 見てごらん
真っ裸で,彼は そこに坐っているかもしれない
だが,何という 微妙な自我(エゴ)だろう
何という 洗練された自我(エゴ)だろう

彼はあなたの足を おし頂きさえ するかもしれない
だが,彼は
「見ろ
自分は なんて謙虚なんだろう !」というのを 見せつけているのだ


これらが 七つの扉だ
自我(エゴ)が 完璧になったとき
これら 七つの扉が 全部通過されたとき
その成熟した自我(エゴ)は それ自身で ひとりでに落ちるものだ

子供というのは これら七つの自我(エゴ) 以前にいる

そして,ブッダというのは
これら七つの自我(エゴ) 以降なのだ

それは ひとつの 完全な 円だ


あなたは聞く
“ 自我(エゴ)形成以前の 子供の空(くう)と,ブッダの 内なる 目覚めた〈子供性〉との 違いは何でしょう ? ”

これが その違いだ
ブッダは これら七つの自我(エゴ) すべてに はいって行った
それらを 見
のぞき込んで
それらが 架空のものであることを 見出した

そして,彼は 我が家に 帰って来た
もう一度
ひとりの子供に なっている


それが イエスの言う
「小さな子どもたちのように ならない限り
あなたは 私の王国に はいることができまい」
という言葉の 意味なのだ



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