saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第6話 ーーー Q&A 最初の質問 (13)

…( 天国だの 地獄だのというのは
そこに 引っかかっている人たちの 思いつきにすぎない )

何百万という人たちが 引っかかっている

彼らは 絶えず地獄を恐れ
絶えず がつがつと天国に欲を出している
彼らは神様に 頭を撫でてもらいたい

そして,彼らは神様に
「お前はいい子だ,わが息子よ」だの
「私は お前に 満足しているぞ」だのと 言ってもらいたい
彼らは,ただ生と死を越えたどこかにある 何かの幻想に頭を撫でてもらうだけのために
自分たちの生を 犠牲にし続ける

彼らは ただ神様に
「なるほど お前は私のために自分を犠牲にした」と言われるようにするだけのために
千と一つの拷問を 自分自身に課し続ける
まるで神というのは マゾヒストか サディストか
何か そんなものであるかのようだ

人々は 神を喜ばせる という考えでもって 自分自身を責めさいなむ
これは どういうことだろう ?

あなたは 断食をして
それで神が あなたに満足すると 思い込む
あなたは 自分自身を飢えさせて
それで神が あなたに満足する と思うのか ?
神は サディストかね ?
人々を責めさいなんで楽しむのかね ?
そして,それが 聖人たち
い わ ゆ る 聖人たちが やってきたことだ
自分自身を責めさいなみ
空を見上げて
遅かれ早かれ 神様が こう言ってくれるのを 待っている
「いい子だ
よくやった
今度は こっちへ来て 天上の快楽を楽しむがいい
こっちへ おいで !
ここでは 川に ワインが流れ
道は 金で できていて
宮殿は ダイヤモンドで できている
そして ここの女たちは けっして歳を取らない
彼女らは 16歳のまま 止まっている
ここへ おいで !
お前は 充分やった
お前は それだけの点数をかせい
今度は 楽しむがいい 」

ん ? 犠牲というものの背後にある 考え方すべてが これだ
これは 馬鹿げた観念だ
なぜならば
あらゆる自我(エゴ)の観念 というのは みな馬鹿げているのだから


第六は 理性としての 自己だ

それは教育経験,読書,学習,聴講などを通じて来る
あなたは いろいろな観念を かき集めはじめ
そうして,これらの観念から さまざまな体系
一貫した 諸哲学を つくり出す

これが哲学者や 科学者や 思想家や
知識人,合理主義者の連中が 引っかかっているところだ
けれども,これは どんどん洗練されてきている

一番目から見たら 六番目は 非常に洗練されている


七番目は 私的な憧れだ
芸術家,神秘家,ユートピアン,夢想家 ーーー
彼らは そこに 引っかかっている
彼らは
いつも 世界にひとつの ユートピアを つくり出そうとしている



(13)終わり・・・(14)へ 続く