saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

「究極の錬金術 1」by OSHO (第9章 13)

『人間は神に何を捧げられるか ?』(13)

 

(…自らが課した拷問を 楽しみはじめるなら、その人は 正気ではない、狂っている ということだ。

もう、彼は まともではない )

 

あなたは、自分自身の愚かさの 殉教者にもなり得る。

あなたは 他の人達から崇められることすら、あり得る。

というのも、人が 自分自身をいじめているのを、とても 幸せに感じる人達が 存在するからだ。

彼らは それを楽しむ。

彼らは サディストであり

あなたは マゾヒストに なり始める。

あなたは 自分をいじめる。

あなたは常に、自分自身を痛めつける。

全世界が 神に反する時、あなたは自分をいじめるだろう。

生は 絶え間ない拷問となる。

すると、あらゆることが罪になり、あらゆることが罪悪感、恐怖、不安を 生み出し、あなたは 絶えず混沌の中に 生きることになる。

 

あなたは 自分をいじめ、マゾヒストになる。

マゾヒストが いれば

必ず サディストが 周りにやって来て、崇め始める。

誰かが 苦しんでいると

それを 心地良く感じる人々がいる。

彼らはあなたを 苦しませたいと思っている。

そしてあなたは 彼らを、トラブルから救いさえしている。

あなたは 自分を いじめている。

彼らは それを とても心地良く感じている。

 

百人の聖人と言われる人のうち 九十九人までは ただの病気だ。

実存的に病んでいる。 彼らは マゾヒストだ。

あなたは 彼らを 崇めることはできる。

だが、彼らは あなたを地獄ヘと導くだろう。

そんなものは、まったく宗教ではない。

 

宗教とは、根本的には エクスタティックな生を創造すること、祝福のある生を生み出すこと、絶対なる喜びである生を 生み出すことだ。

 

それなのに、不安と喜びが 関わりあうだろうか ? 

それらは 両極端に 離れている。

 

ウパニシャッド 曰く

『この世界を通して、あらゆる ものごとを通して、あなたのマインドを “それ” ヘ 捧げなさい』

 

 

(13)終わり(14)ヘ 続く