saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章「自由への恐れ」(03)


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(03)

( 魂は、 ある意味で 生み出されるべきものだ。)

 

グルジェフ曰く

「あなた方には 魂などない。

あなた方は 魂のない存在だ。

あなたが それを生み出さない限り、どうして それを持てるだろう ?」

 

それは、あらゆる宗教の教えに 反するように見える。

が、 そうではない。

宗教が「魂は誰にでもある」と言うのは、ただ、誰もが魂を持てる という意味だ。 それは 一つの可能性だ。

あなたは 一つの魂となるべく、成長できる。

 

もしすでに 魂が あるとしたら、種と あなたは 区別できない。

 

もしあなたが 種のように 木へと成長するなら、もしちょうど 種のように人間へと成長するなら、 人間以下として存在する全ての生物と 人間との区別はない。

 

人間は 自由だ・・・ 在 る  という 自由だ。

人間は いろいろなものに なれる。

何にでも なれる。

が、どういう存在にも ならず、ただの可能性に留まることにもなる。

それが 目まいを生じさせ、恐怖を 生み出す。

 

キルケゴールは「慄(おのの)き」という概念を与えた。

彼は「人間は 慄きの内に生きている」と 言った。

では、一体 この慄きとは、恐怖とは 何か ? 

 

それは あなたが、ただ 一つの可能性であり、他の何ものでもない ということ。

それが 恐怖だ。

あなたは 本質ではなく、ただの存在だ。

あなたは本質を 生み出せるのに、見逃すことも できる。

責任は あなたにある。

それは 実に不安な状態だ。

何ひとつ 確かではない。

人は不確かさの中に生きている。

あらゆる瞬間に 多くの方向が 開き、自分が どこへ進んでいるのかを 知らず、先に どんな結果が 待ち受けているかも 知らず、明日は自分が どうなるのかを知らずに、道を 進んで行かねばならない。

 

あなたの 明日は、

あなたの今日から 自動的に訪れるのではない。

だが “種”の 明日は “種”の今日からやって来る。

 

動物の死は、自動的に その動物の 生の結果だ。

それが あなたと動物の 違いだ。

 

あなたの死は あなたの達成であり、

あなたは その死についての責任がある。

 

それゆえ、あらゆる人間が 独特の在り方で 死ぬ。

別の人と 同じように死ぬ者は いない。

それは あり得ない。

 

Aという犬、Bという犬、Cという犬、 彼らの 死に方は一様だ。

その死は、 彼らの 生の 一部だ。

彼らは 自分たちの生に 責任がないし、 死に関しても責任はない。

 

誰かが「彼は 犬死にするだろう」と言うのは、「成長せず、本質に至らずに死ぬだろう」という意味だ。

その人は ただ、一つの可能性で終わる ということだ。

が、犬の場合は、二匹の犬は 同じように 死ぬ。

 

人間の場合は、 決して そうではない。

二人の人間が 同じように死ぬことは、あり得ない・・・

もし 二人の人間が 同じように死んだとしたら、彼らは 成長の機会を 取り逃がした ということだ。

 

意識が入ったら、あらゆる物事に責任が かかってくる。

何に関して という問題ではない。

 

 

(03)終わり(04)へ 続く