saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第四章「自由への恐れ」(02)


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(02)

(…意識があることで、知る という能力が あることで、自分自身に 責任が生じる。)

 

サルトルは どこかで こう言っていた。

「責任こそ、人間の唯一の重荷だ」と。

どんな動物も、自らの行動への責任は ない。

進化とは、動物である全ての生物の責任だ。

 

動物には 何ひとつ 責任がない。 人間には 責任がある。

ゆえに、あなたが何をしようと、あなたの責任になる。

 

もし 地獄を作り出し、落ちていきたかったら、それは あなた次第だ。

もし 進化したければ、・・・もし成長し、至福の状態を 作り出したいのなら、それも あなた次第だ。

 

実存主義者は、極めてはっきりと 区別をした・・・

それは ビューティフルで、意味深いものだ。

 

彼ら曰く「動物にとっては、本質が最初にきて、その後に 成長が訪れる」

それを 理解するのは 難しい。

しかし、理解しようとしてごらん。

 

彼らは「動物にとって、樹木にとっては、本質が最初に訪れ、その後、存在が従う」と 言う。

 

一粒の種がある。 その種は 本質的には 木だ。

本質は そこにあり、存在は 後についてくる。

 

本質的なものは そこにある。

それは確実に現れるものだし、表現されるものだ。

木に なるはずの ものなのだ ! 

 

その木は 新しいものではないだろう。

ある意味では、すでに種の中にあった。

ゆえに 実際のところ、種には 自由がない。

木は 種の中に存在している。

 

とすると、木もまた 自由ではない。

 

木は、あらかじめ種によって運命づけられている。

それは 本質が最初、その後に 存在が従う ということだ。

 

人間に関しては、全てがちょうど反対だ。

まず 存在が訪れ、その後に 本質が従う という形だ。

あなたは、ある決まった未来をもって

誕生したのではない。

あなたが 作り出さねばならない。

 

あなたが 生まれる。

その状態で、あなたは 一つの存在だ・・・

本質なしの 単純な存在。

その状態から、あなたは  本質を生み出す。

 

人間は 自分自身を創造する。

木は自然によって創造されるが、人間は 自らを創造する。

人間は、ただ単に 本質なしの存在として生まれる。

その後、何をしても、それが あなたの本質を作り出す。

あなたの行為が あなたを作り出す。

 

よって、自由とは 多次元的なものになる。

一人の人間は 何にでもなれるし、何にもならずに いることもできる。

本質なしの、ただの存在ままでいることも可能だ。

何の魂も 持たず、ただの肉体のままでいられる。

魂は、 ある意味で 生み出されるべきものだ。

 

 

(02)終わり(03)へ 続く