saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第7話 ーーー 〈無〉に 帰依する (18)

…( イギリスなど 実に小さな国だ
インドには 一州で それより大きなところもいくつかある
イギリスには この大きな国を やすやすと支配することができた )

それは 難しいことではなかった
なぜだろう ?
そして,この人たちは 魂の不滅を信じていたのだ

この信条は 彼らの 体 験 じゃない
この信条は 恐怖から 出ているのだ
そうすれば すべて 説明がつく
これは 臆病な人たちなのだ
こわがっている
死ぬほど こわがっている
だからこそ 彼らは 魂が不滅だという観念に しがみつくのだ
彼らは 知っているわけじゃない
彼らは それを体験しているわけじゃない
彼らは けっして何ひとつ そんなことを体験してやしない
彼らは ただ まわりを取り巻く死を 体験しているだけだ

その死のせいで
彼らは 真底 こわがっている

だから,一方で彼らは 魂の不滅を信じ続け
もう一方では 誰にでも彼らを 責めさいなむことができる

そして,彼らは いつでも降伏して
御足を おしいただく用意がある

人間が不死を信じるのは 恐怖から来ている

人間が神を信じるのは 恐怖から来ている

それは おののきから来ているのだ
ゼーレン・キェルケゴールは あたり前の心(マインド) に ついてなら正しい


もうひとりの実存主義ジャン・ポール・サルトルは 言う
「人間は自由の刑に処せられている」
なぜ「刑」なのか ?

なんでこんな醜い “自由の刑” などという言葉を使うのか ?

それは何か 刑を負わなければならないようなものなのだろうか ?

そう
普通の心(マインド) にとっては その通り
なぜならば,自由は 危険を意味するからだ
自由とは,何ものにも依存することができない
あなたは自分自身に 依って立たなければならない という意味だ

自由とは 一切の つっかい棒が取り去られてしまう
一切の支えが 消え失せてしまう という意味なのだ
自由とは 根本的には〈無〉を 意味する

あなたは あなたが〈無〉であるとき はじめて自由なのだ


サルトルの 言うことに耳を傾けてみよう
「自由としての人間は 不安と化す」
不安 ?
自由から ? ーーー

そう
もしあなたに その用意がなければ
もしあなたに その中に はいって行く用意がなければ
それは不安だ
誰も自由になんかなりたくない
人々が何を言い張っているかにかかわらずだ
誰 ひ と り 自由に なりたくなんかない !

人々は 奴隷になりたがる
なぜならば,隷属状態にいれば
誰か ほかの人に 責任をなすりつけられるからだ
あなたは けっして 責任がない
あなたは ただの奴隷だ
あなたに 何ができる ?

あなたは ただ 言われたことを やっただけだ ーーー

ところが
自由になると あなたは恐ろしい
責任が 出てくる
ひとつひとつの行為に あなたは責任を感じる

もし こうしたら こうなるかもしれない
あるいは,もし違うことをやったら 何かほかのことが起こるかもしれない
そうなると 選択は あなたのものだ
そして選択は おののきを つくり出す

だから,ジャン・ポール・サルトルは 普通の心(マインド)については正解だ
「自由は不安を生む」



(18)終わり・・・(19)へ 続く