saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第一章 「涅槃(ニルヴァーナ)の境地」 (03)

(…経典に入ってゆく前に
あなたが それを 理解するのを助ける 幾つかの事柄が理解されなければならない )

ゴータマ・ブッダは 非抑圧的、非観念的な 霊性(スピリチュアリティ)を始めた
それは たぐいまれな現象だ

ふつうの種類の霊性ーーーありふれた種類のものーーーは 非常に抑圧的だ
それは 抑圧に依存している

それは 人間を変えず、人間を 損なうだけだ
それは 人間を解放せず、人間を束縛する
それは 重苦しく、醜い


トマス・ア・ケンピスの この言葉を聞くがいい
『キリストのまねび』の 著者だ
彼は書いている
「自分自身に対して暴力的に なればなるほど
あなたは ますます恩寵において成長する
日々の禁欲、苦行をするよりほかに道はない
自分自身を侮辱せよというのが最良にして最高の勧告だ」
各時代を通じて、何千という聖人たちが トマス・ア・ケンピスに同意する
そして トマス・ア・ケンピスは 病的だ


あるいは、フランスの司祭ボスは言う
「地上よ、呪われよ ! 地上よ、呪われよ !
この世よ、千倍も呪われよ」
なぜ ? なぜこの世が 呪われなければならない ?
生が 呪われなければならないーーー

これらの人々は、神が生に 対立し、生が神に対立しているかのように考えてきた


生は 神だ
そこには 敵対は まったくない
分離すら いっさいない
それらは ちがうものではない
それらは ひとつの現実につけられた 二つの名前だ
これを 憶えておきなさい
仏陀は 非抑圧的だ
仏教僧たちが 抑圧的であるのを みかけたら
想い出しなさい、彼らは まったく仏陀を理解していない
彼らは自分自身の病を 仏陀の教えのなかに持ち込んでいる

そして、仏陀は 非観念的だ
彼は どんな観念形態(イデオロギー)も 与えない
なぜなら観念形態は すべてマインドのもの だからだ
観念形態が マインドのものなら、それはあなたを マインドの彼方へ連れては行けない
どんな観念も マインドの彼方へ達する橋に なることはできない
すべての観念が 落とされなければならない
ただ そのときにだけ マインドは 落とされる


仏陀は 理想も まったく信じない
理想は すべての人間のなかに 緊張や葛藤を 生み出すからだ
それらは 分割し、苦悶を生み出す
あなたは あるひとつのものなのに、それはあなたを 何か別のものに したがる
これら二つのあいだで、あなたは 引っ張られ、引き裂かれる
理想は 惨めさを 生み出す
理想は 精神分裂症(統合失調症)を 生み出す
理想が あればあるほど、人々は ますます精神分裂症的に なる
彼らは 分裂する
非観念的な 意識だけが 分裂状態を避けることができる

分裂していたら、どうやって 幸せでいることができよう ?

どうやって 静かでいることができよう ?

どうやって 少しでも平和や静寂を 味わうことができよう ?


観念的な人は たえず自分自身と 闘っている
一瞬 一瞬、葛藤している
彼は 葛藤のなかに 生きている
彼は 混乱のなかに 生きている
なぜなら、彼は 自分が ほんとうに何であるか、決めることが できないからだ
理想か 現実かーーー
彼は 自分自身を 信頼できない
彼は自分自身を おそれるようになる
彼は 自信を 失う
ひとたび 自信を失ったら、人は すべての栄光を 失う

そうなったら、彼は どんな人に対しても奴隷になる用意がある
どんな司祭、どんな政治家に対してもーーー
そうなったら、彼は 用意ができて、罠に落ちるのを 待っている


なぜ人々は 追従者になるのだろう ?

なぜ人々は 罠にかかるのだろう ?

なぜ人々は、ジョセフ・スターリン
アドルフ・ヒトラー毛沢東のような人に だまされるのだろう ?

それは そもそも なぜだろう ?

彼らは非常に 動揺している
観念的な混乱が、彼らを その根底から揺さぶっている
いまや、彼らは 自分で立つことができない
彼らは 誰か 寄りかかれる人がほしい
彼らは 自分で動くことができない
彼らは 自分が何ものなのか わからない
彼らは「あなたは これだ、あれだ」と 教えてくれる人が 必要だ
彼らは 自分に与えられる 存在証明が 必要だ

彼らは 自分の自己や 本性を 忘れ去っている


アドルフ・ヒトラー、ジョセフ・スターリン
そして 毛沢東のような人たちは、何度も 何度も 出てくる
人間が すべての観念(イデオロギー)を 落とさないかぎりだ

憶えておきなさい
「すべての観念」と 言うとき、私は「すべての」観念を 意味している
私は 高尚な観念と それほど高尚でない観念のあいだに どんな区別もつけてない
観念は すべて危険だ
なぜなら それは、より魅惑的な力をもち、より説得力を もっているからだ


しかし、観念そのものが ひとつの病気 Disease だ
まさに Dis-ease (不―安心)だ

なぜなら、あなたは 二つになるからだ
理想と あなた の 二つにーーー

あるがままの あなたは 非難され、あるがままでないあなたが 賞賛される

いまや、あなたは トラブルに 巻きこまれている

今度は、あなたは 遅かれ早かれ 神経症や精神病や 何かになる


仏陀は 非抑圧的な生き方と 同時に 非観念的な生き方も 与えた
だから彼は 神について語らない
彼は 天国について 語らない
彼は どんな未来についても 語らない

彼はあなたに しがみつくものを 与えない
彼はあなたから あらゆるものを 取り去る
あなたの 自 己 でさえ 取る
彼は さまざまなものを 取り去りつづける

そして、ついには 自己、私、自我(エゴ) という観念さえも取り去る

彼は 背後に 純粋な 空(くう)だけを 残す

これは とても むつかしい


これがとても むつかしいのは、私たちが 与え方をすっかり忘れ去ったからだ
私たちは 取り方しか 知らない
私たちは あらゆるものを 取りつづける



(03)終わり・・・(04)へ 続く