saleemのブログ

「 先ず一歩 内なる旅に 友は無し 」Zen柳

第一章 「涅槃(ニルヴァーナ)の境地」 (04)

(…これがとても むつかしいのは、私たちが 与え方をすっかり忘れ去ったからだ
私たちは 取り方しか 知らない
私たちは あらゆるものを 取りつづける )

「私は試験を受ける(取る)」、「嫁を取る」、そして「昼寝を取る」とさえ言う
あなたは 取りつづける
昼寝でさえ、あなたは 取る
取ることなど できないものでさえだ
あなたは それに身をまかせなければならない
眠りは あなたが 身をまかせたときだけ訪れる

妻や夫でさえ あなたは取りつづける
あなたは 敬意を いだいていない
妻は 所有物ではない
あなたは 家を取ることはできる
が、どうやって妻や夫を 取ることができよう ?


しかし私たちの言葉は 私たちのマインドを示している
私たちは 知らない
どうやって 与えるか
どうやって 降参するか
どうやって 手放し(レットゴー)するか
どうやって 物事を 起こるがままにまかせるかーーー


仏陀は すべての理想、すべての未来を取り去る
そして ついに、私たちにとって 与えることが非常にむつかしい 最後のものを取り去る
ーーー彼は あなたの 自己そのものを取る
そして あとに純粋、純真、無垢な空(くう)を 残す
その純真無垢な空(くう)を、彼は ニルヴァーナと 呼ぶ
ニルヴァーナは 目的ではない
それは ただ あなたの 空性だ
あなたが かき集めてきたものを すべて落としたとき
あなたが もう蓄えないとき
あなたが もうけちな人や 執着する人ではないとき
突然、その空(くう)が 噴出する
それは いつも そこにあった


白隠は 正しい
衆生本来仏なり」
その空(くう)は そこにある

あなたは がらくたを積み重ねてしまったから その空(くう)が 見えない

それは、ちょうど家の中で物を 積み重ねつづけることができるようなものーーー
そうなったら、あなたは どんな空間(スペース)も見なくなる
そうなったら、もう空間は ない
その家の中へ 入ることさえ むつかしくなる日が やってくる
住むことも むつかしくなる
なぜなら 空間が まったくないからだ
しかし 空間は どこへも行ってはいない
それを よく 考えることだ
それを 瞑想することだ
その空間は どこへも 行ってはいない

あなたは 家具、テレビ、ラジオ、無線機、ピアノ・・・あらゆるものを 集めすぎた
しかし 空間は どこへも行ってはいない
家具を 外へ出してごらん、そうすれば 空間は そこにある
それは ずっと そこにあった
それは 家具に隠されてはいたが、破壊されては いなかった
それは 一瞬のあいだも部屋を離れてはいなかった
あなたの 内なる空(くう)、あなたの ニルヴァーナ、あなたの〈無〉もまた同じことだ


仏陀は あなたに ニルヴァーナを 理想として与えているのではない
仏陀は 強制するのではなく 解放する
仏陀はあなたに いかに生きるかを教える
何かの目標のためにではなく、何かを達成するのではなく
いかに い ま こ こ で 至福に 満ちているか
いかに 覚醒のなかに生きるかーーー


覚醒(アウェアネス)が あなたに 何かを与えるというのではない
覚醒は 何かの手段ではない
それは それ自体が 目的だ
手段と 目的の 両方だ
その価値は 内在的なものだ

仏陀は あなたに、あの世的であることは 教えない
これは 理解されなければならない
人々は この世的だが、説教師たちは あの世を教えつづけている
その あの世も それほどあの世的ではない
そうでは ありえない

それは 同じ世界の改良モデルにすぎないからだ
どこから あの世を創り出せるというのだろう ?
あなたは この世しか 知らない

あなたは 改良することはできる
あなたは あの世をもっと飾りたてることはできる
ここで醜い物を 少々移動し、美しいと思う物に 置き換えることはできる
しかし、それは この世の経験から 生み出されたものだ
だから、あなたの「あの世」は それほどちがっていない
ちがっているはずがない
その天国、楽園、フィルドゥス、スワルガは 同じ物語にすぎない
より上質のアート紙に、より上質のインクで、より改良された印刷技術で印刷され
より色鮮やかな イラストレーションが ついているかもしれない
だが、話の筋は 同じものだ
別のものには なりえない


仏陀は あの世性や あの世のことは 語らない
彼が 教えるのは ただ いかに、ここ、この世に いるか
いかに ここで醒め、意識し、注意深くいるか ということだ

あなたの空(くう)を 侵害するものがないように
あなたの内なる空(くう)が 尽きたり毒されたりしないように
あなたが ここに生き、しかも汚されたり穢されたりしないでいられるように
あなたが 世間の中に生き、しかも世間があなたの中に 存在しなくなるようにーーー


あの世的な霊性は 重苦しく
破壊的で サド・マゾヒスティックに、要するに 病的にならざるをえない

仏陀霊性(スピリチュアリティ)には それとはちがう味わいがある
どんな理想もない味わい
どんな未来もない味わい
どんな来世もない味わいーーー

それは、い ま こ こ に 咲く花だ
それは、何ものも 求めない
すべては もうすでに 与えられている

それはただ もっと敏感になるだけだ
あなたが もっと見えるように
あなたが もっと聞けるように
あなたが もっと 存在できるようにーーー


憶えておきなさい
あなたは ただ あなたが意識的であるのと同じ比率でしか存在しない
あなたが もっと存在したいなら、もっと意識的でありなさい
意識は 存在を 与える
無意識は 存在を 奪う
酔っているとき あなたは 存在を失う
眠りこんでいるとき あなたは 存在を失う

これを観察したことはないだろうか ?
油断なく醒めているとき、あなたは異なる質を帯びている
あなたは 中心が定まり、根が降りている
油断なく醒めているとき、あなたは 自分の存在が どっしりしているのを感じる
それはもう ほとんど 手に触れそうだ

無意識で、だらだらと過ごし、寝ぼけているとき、あなたの存在感は 希薄になっている

それはつねに 意識のあり方と同じ比率で 存在する


だから、仏陀の 全メッセージは 意識的であれ ということだ
ほかの どんな理由のためでもなく、ただ意識的であること自体のためにーーー



(04)終わり・・・(05)へ 続く